商店のはじまり

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 椴法華村と近村における商店に関する一番古い記事は弘化二年より弘化四年に至る記事をまとめた松浦武四郎の『蝦夷日誌』に見られ、次のように記されている。(商店の部分のみ抜書きする。)
 
  ・尾札部村、人家八十軒斗・小商人、二、三軒
  ・シュマトマリ(椴法華村島付近)人家二十余軒、漁者のみ、小商人壱人有
  ・椴法華村(現在の椴法華村字元村付近)人家二十余軒、小商人、壱軒
  ・根田内村(尻岸内町字恵山)人家四十軒、小商人四、五軒、ただ酒・米・紙・煙草・わらんじを売るのみ也
  ・古武井、此村支配中五十軒、小商人、二軒
  ・尻岸内、人家十余軒、小商人、一人
 
 以上の記事から弘化年間(一八四四-四八)の椴法華村と近村の村々では、十数軒から四十軒ぐらいの集落をつくっており、必ずといってよいほど小商人が存在していたが、それらの店では、根田内の記事に見られるように、酒・米・紙・煙草・わらじなどを売っていたものと考えられる。
 またこの他に商店ではないが、箱館から水産物の積みとりのため椴法華に向かう船があったが、この時空船で出航するのではなく、米・味噌・酒・塩・古着等を積み込み、椴法華到着後は、網元や有力漁民に一括販売したり、あるいは入船中に村人に売ることもあったと云われている。(元青森県大間町町長山根の祖先山根吉三司は、これをヒントにして明治十年頃から椴法華に来航したと云われている。)