秦檍丸は、村上島之允という。島之允は寛政年間、幕吏として蝦夷地に駐在して、蝦夷地のアイヌの風俗を細かに記録した優れた著書や、絵図、屏風などを多くのこしている。
蝦夷嶋奇観は、寛政一一年(一七九九)に成立したといわれ、数多くの写本がある。島之允の自著とされる旧堀田家本(東京国立博物館)と部・項目などを同じくする市立函館図書館所蔵の渡辺家本の両者を参考とした。
蝦夷嶋奇観の一五六に「御上り昆布、一に曰く天下昆布」と記す。天下昆布は汐首から東蝦夷地シカヘまでの海浜に産するとある。
島之允は、これに志苔昆布・菓子昆布・蝦夷地三ツ石昆布と分けている。
真昆布白口浜は、御上り昆布、天下昆布、菓子昆布などの名が同様に用いられていたものとみられる。
島之允は、続日本紀の「蝦夷」「先祖以来 貢献昆布」を引用して、アイヌの人たちが古くから昆布を採っていた様子を絵で示している。(口絵参照)
蝦夷島奇観 秦檍丸
百五十五 昆布は東蝦夷地に産す
西夷地 絶てなし 六月土用
より八月十五日まて採れり
績日本紀云 霊亀元年十月丁丑
陸奥蝦夷第三等邑良志別君
宇蘇弥菜等言 親族死亡子孫
數人 常恐 被二狄徒抄略一乎 請於二
香河村一造二建群家一 為二編戸民一 永
保二安堵 又蝦夷須賀君古麻比留
等言 先祖以来 貢二献昆布常採二
此地 年時不レ闕 今國府郭下
相去 道遠 往還累レ旬 甚多二辛苦一
請於二閇村一 便建二郡家 同二於百姓一 共
率二親族一水不レ闕レ貢 並許レ之
百五十六 一 御上り昆布 一曰 天下昆布
汐首崎より東シカヘ
海濱迄産セリ 長壹丈
三四尺 幅五六寸 紅黄
緑色 採挙て清浄の
地をえらミ乾す 五十枚
を壹把とし また其上を
昆布にて包 十六所
結 廳に奉る 是昆布の
絶品とす
一 シノリ昆布は箱館東
海に産す 長七尋餘
幅壹尺三四寸 緑色 味
甘美 此昆布ハ唐山に
贈る
一 菓子昆布 色黒緑
長壹丈はかり 味至て
甘美 汐首岬よりシカヘ
海底に産す
一 夷地三ツ石 ホロイツミ
シラヌカより出る品 長
七尋餘 幅三四寸 緑色
此外 處々より産す
雑品なり