日蓮上人の高弟日持上人が永仁二年(一二九四)=正応四年(一二九一)ともいう=蝦夷地に渡海したという。
日持は箱館山の頂上にある鶏冠形の巨石に題目を書きのこし、石崎に庵を結び、この地に在ること四年、のち椴法華から樺太に渡り韃靼を経て中国に赴いたといい伝えられている。
日蓮宗の僧が蝦夷地に渡り□□□年、京に帰って公家に蝦夷地の産物昆布を献上したといわれている。
蝦夷地へ僧侶が渡る動機もふくめて、その当時すでに蝦夷地渡海の便もあり、日本人の在住来在の地として僧侶が布教なり、異郷の地に行脚布教をしたものと考えるのが自然である。
一三世紀にはすでに多くの和人が、交易なり何らかの目的で蝦夷地との往来をしていたことになる。