冷害の歴史

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気候変動の研究は、今後の気候の温暖化、地球環境の問題、または古代の生活を知ることなどからも大変重要で興味深いものである。古文書などによるもの、樹木の年輪、昔の植物の花粉分析、酸素の同位元素の割合から温度を推定する方法、放射能を帯びた14Cによる年代測定の技術など、新しい技術が発達し、古い時代の気候の推定が進んでいる。
 青森県は冷夏の頻度が高い。したがって稲作を中心に冷害を受けることがしばしばである。特に太平洋側や海峡・陸奥湾側では常襲地帯といってよく、おおむね四年に一回の割合で出現している。
 ここでは、藩政時代に津軽地方で発生した気象災害のうち、凶饉記録について抽出してみると、藩政時代の約二五〇年間に冷害回数は約四〇回を数える。津軽地方でも平均的に六年に一回の割合で凶作年になっていることになる。ただし、出現回数には偏りがあって、低温時代に現われやすい。
 そこで冷害規模が大きく、餓死者が多いなどの主たる凶饉年の事例を挙げた。ここでも観測時代における気候変動との関連に似て、低温時代に冷害による凶作群の出現が連鎖的にみられた。津軽地方の近世における凶作群の代表年に、寛永十七年(一六四〇)、元禄八年(一六九五)、寛延二年(一七四九)、天明三年(一七八三)、天保四年(一八三三)がある。そのうち、元禄、天明、天保の凶作群は、持続性や災害の深刻さから、弘前藩の三大飢饉に挙げられる。この年代は、一六〇〇年から一九〇〇年ころまで約三〇〇年続いた、地球規模の小氷期といわれた中のいくつかの低温の時期に当たり、冷害はこの時代に多く発生している。
 津軽地方のおもなる冷害発生年を大きくみると、約三〇年や四〇~五〇年の間隔変動があった(表20)。
表20 災害年表にみられる主たる凶作
西暦災害備  考
元和元1615大飢饉低温・長雨  餓死者多し
元和21616飢 饉不明  餓死者多し
寛永171640飢 饉春・夏不照  死者多数
寛永181641飢 饉低温・長雨  死者多数 翌年も凶作
延宝21674凶 作干天  餓死者多し 延宝5年も凶作
元禄71694凶 作低温・長雨  元禄飢饉始まる
元禄81695大飢饉低温・長雨  餓死者3万余人
その後元禄9年,12年,15年,16年,宝永2年(1705)と凶作が続き,元禄の凶作群となった
元文51710飢 饉低温  餓死者438人余
寛延21749飢 饉低温  乞食・非人多く餓死者多数
寛延31750凶 作前年の余映続く  飢えと寒さで2月・3月に餓死者多数
天明31783大飢饉低温・長雨  餓死者多数 各所で暴動  餓死判明分6万4000余人
天明41784凶 作前年の余映強く餓死者続く 6月に疫病流行して死者多数 餓死者・病死者3万8000余人
天明の飢饉は,天明2年に始まり,同2~8年および寛政元年(1789)と続いた凶作群
天保41833大飢饉低温・長雨  餓死者多し
天保の飢饉は,天保3年~7年および9年~10年と続いた天保年間の凶作群
天保4年から10年にかけての7年間の死者35,616人
慶応21866凶 作低温・長雨早冷  8月下旬霜降 田畑皆無作 明治2年(1869)大凶作