(1)A 松下孝幸 「九州と中国の古人骨を読む」『稲-その源流への道』 東アジア文化交流史研究会 一九九〇年
B 韓康信 「九州の古人骨をみる」『稲-その源流への道』 東アジア文化交流史研究会 一九九〇年
(2)伊東信雄 「東北北部の弥生式土器」『文化』二四-一 一九六〇年
(3)工藤正 「田舎館遺跡」『東奥文化』 一六 一九八〇年
(5)弘前市教育委員会 『砂沢遺跡発掘調査報告書』図版編 一九八八年
弘前市教育委員会 『砂沢遺跡発掘調査報告書』本文編 一九九一年
(6)「日本書紀」巻廿六 斉明天皇五年の条。
秋七月………遣下二小錦下坂合部連石布。大仙下津守連吉祥一。於唐国上。仍以二道(陸)奥蝦夷男女二人一。示二唐天子一。………(中略)………天子問曰。蝦夷幾種。使人謹答。類有二三種一。遠者名二都加留一。次者市麁蝦夷。近者名二熟蝦夷一。今此熟蝦夷。………天子問曰。其国有二五穀一。使人謹答.無之。食レ肉存活。
『新訂増補 國史大系 日本書紀』後篇 吉川弘文館 一九九〇年(普及版一二刷)
(9)A 工藤正 『尾上町古代遺跡(昭和三十六年度)発掘調査報告書』 尾上町教育委員会 一九六二年
B 第三節(60)に前掲