写真84 中崎館遺跡出土の鉄製品
その理由としては鉄の再加工という行為が関係していると考えられる。鍋や釜は鋳鉄(ちゅうてつ)を鋳型(いがた)に流し込んで作る製品であり、古くなって使用できなくなると、精錬・鍛冶作業によってもう一度鍛練して農具や利器など別な製品として再加工することが多い。とくに北日本以外の地域においては、鉄のリサイクルシステムが確立していたと考えられており、通常の遺跡調査では鉄製品の出土数は少ないのが現状である。
ところが北日本・津軽地域の遺跡では、たとえば中崎館のように、農具(鎌・鋤先)やカラムシの繊維製作に使った苧引金・紡錘車など、まだ十分に使用できる鉄製品が多数出土する。このような考古学的特徴を、鉄製品のリサイクルシステムがいまだ確立していなかった地域であると考える説と、そうではなくて鉄製品のように生産や日常生活に深くかかわる道具類に関しては、再利用に一種のタブー(禁忌)が働き、そのために出土数が多くなると考える説があり、今後は遺物の出土状況に注目する必要がある。
いずれにしても、中世の段階になると鉄鍋が煮炊の主体となり、北日本を中心的分布域として内側に耳のついた内耳鉄鍋が多く出土する。津軽地域では、碇ヶ関村古館(ふるだて)遺跡に類例があり、岩手県平泉町柳之御所跡の堀跡から出土したものは有名である(図34-1)。前述した内耳土器も同様であるが、内側に弦をつける耳があるということは、植物繊維の弦をつけても煮炊の機能ができる極めて移動に適した鍋である。そのため内耳形態の出自に関しては、北方的な樹皮製鍋を出自と考える人もおり、いまだ明確ではない。
このような鉄鍋の生産地に関しては、製作に当たった鋳型の出土によって場所を特定できる。近年までは、福島県あたりまでしか鋳型の出土が認められなかったことから、津軽地域の鉄鍋もすべて搬入品とみられていたが、最近、秋田県山本郡琴丘町(ことおかまち)の堂の下(どうのした)遺跡で鋳型の発見が報告されており、在地における製作も想定しなければならなくなっている。