弘前城下と周辺農村とは在方へ通じる道で結ばれ、農民が城下と農村を往復する時には、この道が利用されたのであった。藩士と出会った際の農民のとるべき態度についての規制は、枚挙にいとまがないほど出されているが、「国日記」天保十一年(一八四〇)三月五日条にみえる規制の大要は次のとおりである(資料近世2No.二五六)。
○農民が弘前城下で藩士と出会った場合
①農民が重臣はもちろん、一般の藩士に出会った時には、かぶっているものを脱ぎ道路の端に寄り、これらの人々が通り過ぎるのを待つべきこと。②城下は人の往来が多いので、馬方一人で数頭の馬を引く時は、藩士に無礼にならないよう充分注意すること。③藩士・老人・子供・盲人がこちらへ来るのがみえたならば、馬方は一〇間(約一八メートル)ほど手前で馬を道端に寄せてその人達を通すこと。④馬方が用事のため、しばらく馬を小店(こみせ)(通路となる軒下)の前につないでおく時には、手綱(たづな)を三尺(一メートル弱)程度に短くし、また馬の足をつなぐなどして、馬が人の通行妨害にならないよう心がけること。
○農民が藩士と農村で出会った場合
①農民が鑓(やり)を持たせるか若党を連れた藩士と会った時は、かぶっているものを脱ぎ、道端に寄り無礼がないように心がけるべきこと。②農民が藩士と出会った際には、四~五間(約七・二メートルから九メートル)手前で馬を道端に寄せて、藩士が通り過ぎるまで立ち止まっていること。③帯刀の人をみたならば、農民は馬に乗ったまま通過せず、すぐ降りて馬を道のわきに寄せ、帯刀の人が通れるよう道をあけること。④数頭の馬を引いていく時、子供に馬の口をとらせ、馬方が後をついて行くのではなく、自分で馬の手綱を持って道を通るべきこと。⑤橋の近くで藩士と出会った時に、農民は橋の手前で馬を路傍に寄せて控え、藩士が通り過ぎてから出発するように。逆に藩士を控えさせてはならないこと。⑥馬の口をとる者がいても、農民は女・子供・病人以外は、藩士と出会った際に馬に乗ったまま通り過ぎるようなことをしてはならない。病人であれば必ず事情を断るよう心得ておくこと。⑦農民は馬を追い放しながら通行せず、必ず馬の口をとるべきこと。
重複する部分もあるが、以上一一ヵ条である。町人は藩士と路上で出会った時には、ひざまずいて挨拶しなければならなかったが(本章第三節二参照)、農民の場合はひざまずく必要はなかったことが知られる。それは農民と町人の間における身分差によるものであろう。