同年八月から稽古館での授業が本格的に開始された。九月七日に一般生徒とは別枠で医学専攻生徒募集の触れを出した。表医者以上の医家の子弟は、十歳から十三歳までのうちに必ず入学するよう義務づけ、町医の子弟も家業を世襲する場合は入学を要請した。また家中の非嫡子で医師志望の者や町医の子弟も入学を認めた。こうした形で藩は医者の養成を図るとともに、稽古館での資格試験を課し、及第者のみに開業免許を与えた。
武芸に関していえば、開校当初は学校の道場も手狭で各流派のすべてを学校御用懸にするわけにもゆかず、町道場での指導に委ねていたが、寛政九年に校内の武道場の増築に着手し、同年十一月に落成し、翌十年正月二十九日に新築道場での稽古始めの式を挙げた。かくして本州最北端の地に文、武、医を備えた総合教育施設が全容を整えた。
寛政九年(一七九七)六月、江戸の藩邸内にも学問所が設けられた。弘道館と称され、上田兼蔵が総司に任じられた。入学規定は国元の場合とほぼ同じであった。