喜多村校尉政方

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津軽信政山鹿素行に師事し、素行の弟子を多く召し抱えたことから、素行の学問・思想が藩内で大きな影響力を持った。素行の娘鶴を母親に持つ喜多村校尉政方(こういまさかた)(一六八二~一七二九、開雲(かいうん)堂・耕道(こうどう)と号した)は、素行の兵学儒学を継承祖述して、以下のようなその方面の多くの書を著した。「雨窓客論(うそうきゃくろん)」一冊、「甲胄(かっちゅう)考」一冊、「五徳五才直解」、「四書句読諺解(げんかい)」一三冊、「武治提要(ぶじていよう)」一冊、「山鹿誌(やまがし)」一冊、「聖学入門鈔(せいがくにゅうもんしょう)」一冊、「聖教入門抄(せいきょうにゅうもんしょう)」一冊、「装束彝抄(しょうぞくいようしょう)」一冊、「兵機全集」三冊、「兵法大意問答」一冊、「武教衛葵録(ぶきょうえいきろく)」一冊、「原源発機(げんげんほっき)句読大全」三冊、「城築大源発秘図録(しろとりだいげんはつびずろく)」一冊、「城築大源発秘図録家伝秘抄(しろとりだいげんはつびずろくかでんひしょう)」、「講武堂茗話(こうぶどうめいわ)」一冊、「七書便義(しちしょべんぎ)」、「甲陽戦略便議」一冊、「略四書分類(りゃくししょぶんるい)」一冊、「輔佐(ほさ)要論」一冊、「天地図説」一冊。政方は五代藩主信寿へ、素行晩年の著作で素行哲学の最高峰と称せられる「原源発機」を伝授している(「喜多村由緒書」『伝類』)。また「輔佐要論」では「主君ヲシテ堯・舜タラシメ、民ヲシテ堯・舜ノ民タラシメ、国家ヲ安泰ニシ、社稷(しゃしょく)ヲ長久ナラシム」ことこそが「忠功ノ極地」であり、これはひとえに補佐の任に当たる臣に課せられた「職分」であるとして、その要諦(ようてい)が説かれている。ここには君臣間のあり方についての素行の考え方が如実に反映されている。他に詩文集に「開雲堂文稿(かいうんどうぶんこう)」一巻、「開雲堂詩集(かいうんどうししゅう)」三巻、「甘露山(かんろざん)」一冊、「行東海道紀行(こうとうかいどうきこう)」一冊、和歌に「四十八詠」、随筆に「寒燈随筆(かんとうずいひつ)」一冊があり、詩文にも長じていた。

図168.兵機全集
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