浄土真宗

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浄土真宗真教寺僧録所で本末は図196のとおりであった。

図196.浄土真宗本末関係図

真教寺の末寺感随寺の新発意(しんぼち)勇進が、安政四年(一八五七)に埋葬した死者を堀り出したことから、脱衣のうえ、青森・黒石などの大場(おおばかまえ)より三里四方追放となった。このことを感随寺は本寺真教寺へ届け出なかった。そこで、本藩の町奉行から津軽黒石藩に対して、本藩と支藩との藩主処罰権は異なるものの、本末関係において感随寺僧録所の判断を仰ぐようにとの申し入れがなされた。