目次
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新編弘前市史 通史編3(近世2)
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第8章 藩政期の文化
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第三節 宗教と信仰
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一 宗教政策の展開と特徴
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(二)本末制と僧録制
浄土真宗
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浄土真宗
は
真教寺
が
僧録所
で本末は図196のとおりであった。
図196.
浄土真宗本末関係図
真教寺
の末寺
感随寺
の新発意(しんぼち)勇進が、安政四年(一八五七)に埋葬した死者を堀り出したことから、脱衣のうえ、
青森
・黒石などの大場
構
(おおばかまえ)より三里四方追放となった。このことを
感随寺
は本寺
真教寺
へ届け出なかった。そこで、本藩の
町奉行
から津軽
黒石藩
に対して、本藩と支藩との
藩主
処罰権は異なるものの、本末関係において
感随寺
は
僧録所
の判断を仰ぐようにとの申し入れがなされた。