信枚は天海より法号津梁(しんりょう)院殿権大僧都寛海(ごんだいそうずかんかい)を授与された。
常福寺本祐とも師弟関係にあったため、寛永元年(一六二四)、
東照宮の
別当薬王院の開基・第一世に本祐を推し、
天台宗の
常福寺(現東京都台東区)を兼務させた。信枚が
江戸で死去すると、本祐が導師となって
常福寺へ葬られたが、後に信政の時に
津梁院へ改葬された。
常福寺は
津軽家から享保十五年(一七三〇)に一〇〇石の寄進があったが、明治四年(一八七一)に三五石になっているところをみると、寄進高は一定でなかったようである(同前No.四〇三)。
図206.常福寺