天徳寺

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天徳寺(てんとくじ)は、「山崎専称寺並末寺由緒記」によれば、天文年間(一五三二~五四)、臨済宗の寺として創建されたが、慶長二年(一五九七)に衰微したという。「浄土宗諸寺院縁起」は、弘前城下形成により、大浦城下から元寺町へ移ったとする。慶安二年(一六四九)に類焼し、新寺町貞昌寺山内へ移転した。
 貞昌寺三世良城が隠居所とし、信枚へ茶道を教え、御目見寺院の列に加えられた。寛永十七年(一六四〇)、信義が来寺し、隠居料五〇石を与えようとしたが辞退し、下屋敷一軒を願い出たという。