目次
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新編弘前市史 通史編3(近世2)
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第8章 藩政期の文化
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第三節 宗教と信仰
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三 神社
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(一)神社
十一面観音堂
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十一面観音堂
(現巖鬼山(がんきさん)
神社
)は、岩木三所大権現の左峰十一面観音を巖鬼山西方寺観音院に祀ったとするが、詳細は不明。「
津軽一統志
」は、
別当
を
百沢寺
、
神職
を長見勘ノ太夫、元禄四年(一六九一)の再興とする。享和三年(一八〇三)の「
寺社領分限帳
」には、慶長元年(一五九六)八月十七日に為信の長男信建が
鰐口
を寄進したことを記す。
津軽三十三観音
第五番の札所である。明治六年(一八七三)に
巖鬼山神社
と改称した。
図232.
巖鬼山神社