比較的女子教育に理解のあった士族階級ですら、公立小学に女子を入学させることを拒否したが、これは公立小学における男女混学を嫌ったからであった。つまり「男女七歳にして席を同じうせず」の儒教的観念から、女子を就学させなかったのである。そこで考えられたのは、女子のみを収容する小学の設置である。明治八年八月に開校した含英女小学がそれである。校名の「含英」とは花のつぼみを意味するというが、いかにも女子小学に適した名称である。校舎は元寺町森岡氏邸宅(旧藩家老の家柄、現桜大通りの土地)に設けられたが、同邸はほどなく警察署分署となったので、含英女小学は警察署構内を借用することになった。女子小学と警察署の取り合わせがおもしろい。同校設置によって、八年に弘前は小学が五校となった。
写真55 明治初期の含英女小学(元寺町)
表16 弘前各小学(明治八年) |
名 称 | 地 名 | 設立年 | 新築 旧屋 | 公有 借用 | 教 員 | 生 徒 | ||
男 | 女 | 男 | 女 | |||||
白銀小学 | 陸奥国津軽郡白銀町 | 明治六年 | 旧官舎 | 公有 | 一〇 | - | 三三五 | - |
和徳小学 | 同 和徳町 | 同 | 旧倉廩 | 同 | 七 | - | 一五八 | - |
亀甲小学 | 同 亀甲町 | 同 | 同 | 借用 | 九 | - | 三二六 | - |
白銀女小学 | 同 白銀町 | 同 八年 | 旧官舎 | 公有 | 一 | 三 | - | 二一〇 |
含英女小学 | 同 元寺町 | 同 | 旧官舎 | 借用 | 二 | 二 | - | 九六 |
明治八年『文部省年報』による | |
(注)白銀女小学とは、白銀小学女子生徒で、同一校舎内に女子のみの教室を設け、明治八年「白銀女小学」と称した |