就学生千人を超える

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明治二十五年(一八九二)九月の学年始業式で、弘前高等小学校の就学生徒が一千人に達した。これは県内でも類を見ない快挙で、同校では始業式に先立って、八月九日に盛大なる「修業生千名祝」を挙行した。来賓の赤石行三弘前市長は祝辞を朗読し、「夫(そ)れ如斯(かくのごとき)多数の就学生あるは、市民教育の忽諸(こっしょ)に附すべからざるを知るに因(よ)るも、学校教員の能く之を教へ、之を導きたるの結果にあらざるなし」と市民と学校職員を賛えた。

写真104 弘前高等小学校

 当時高等小学校に入学することは、今日の大学入学より希少価値があって、高等小学校卒業というと世間の信用が違っていた。また、中学校に進学を目指すには、受験資格の高等科二年を修了しなければならず、それだけに高等小学校に入学する者が多かった。それにしても就学者の千人は希有の現象であったろう。『東奥日報』は同校の祝賀式を報道して「当日の来賓者は千余名、参観者は無慮一万人以上に達し未曾有の盛況」としているが、就学生が千人を超えた小学校は県下で弘前高等小学校が最初である。表51は、明治二十五年度青森県内の高等小学校の生徒数を比較したものである。
表51 県内高等小学校就学生徒数比較表
郡市名東津軽西津軽中津軽南津軽北津軽上北下北三戸弘前市総 計
学校数尋高 一一二
高  一
男生徒五一二一二一三七七二四〇三四二一七六五二三八三七三、一二八
女生徒一七〇四二二一四一二一八九一五八五四四
六八二一二三四一九二六一三八三一九七六一二九九五三、六七二
明治二十五年度「青森県学事第二十年報」による
(注)学校数で、尋高とあるのは尋常科高等科併設小学校のことで、高とあるのは高等科のみの小学校である。中津軽郡高等小学校が設置されていないのは、弘前高等小学校に入学するためである。弘前市の高等小学校の生徒数が千名に満たないのは、右の統計が年度末になされたからで、入学時千名以上の生徒が途中退学者のため九九五名となったものである。