教科内容に変わりはなかったが、第一中学校や第二中学校などの歴史ある学校には、独自の校風が確立していて、それぞれ特色のある教育が行われた。ことに両校とも校友会の活動がめざましく、文化部と運動部に大別されていたが、文化部の中心は編集、講演の二部で、校友会会誌の発行や演説討論が盛んになされた。運動部では剣道、柔道が古く、舶来のスポーツでは野球が最も早く採り入れられ、ほかに、庭球なども行われていた。初めは校内活動が主であったが、それが生徒たちの愛校心を深め、他校生徒の交流につながって盛り上がりをみせるようになった。
写真109 明治時代の中学校野球部
第一中学校では、三十五年七月、県内各中学校に先駆けて校旗を制定した。これは青森師範学校に次ぐもので、同年七月十九日に校旗樹立式を挙行している。校旗は白地に赤の旭光を染め出した軍艦旗に似た図柄で、中央紅の部分に帽章の「中」の字を白く抜いたもので、東京高島屋に発注している。