細民救済対策事業

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凶作は、県南のように二分作の悲惨さはないが、生活難は弘前市民の上にも現れていた。大正三年、中郡の小学校では修学旅行を中止した。また、朝陽小学校では二月から三月にかけて腸チフスが大発生し、三月五日には一二三人欠席、教師も三人罹(り)患、一人が死亡した。十一月の市会では、小学校授業料未納問題が取り上げられた。無財産・無資力のための各校の未納者、免除者数は次のとおりである。
第一尋常高等小学校 高等科 五三名 尋常科 七八名
第二尋常高等小学校 高等科 五二名 尋常科 四一名
朝陽尋常小学校   一九五名
第一大成尋常小学校 一四一名
第二大成尋常小学校 一八三名
和徳尋常小学校   一六八名
時敏尋常小学校   一一五名
城西尋常小学校   二六〇名
     合計  一二七五名

 授業料の納付状況は、大正元年は六割四分で、大正三年度からは月一〇銭に半額とした。なお、無料にせよという議員は三分の一だった。
 この督促は、経費、日数がかかって効果が上がらないので、市では授業料全廃を考慮中という答弁だった。
 いよいよ年も差し迫った十二月議会で細民救済対策が論ぜられた。救済委員会が結成され、四つの対策が立てられた。基本的には弘前には冬を越せない細民は大していない。明春四月には渡鮮の軍隊が帰還するから、景気が回復し細民の仕事が出るから、五ヵ月間を考えるということだった。具体的対策は次のとおりである。
一、外国米一人二銭引き下げ、補助金元資金二四〇〇円、一日二七〇〇口分、
一、細民内職奨励・麻糸つなぎ 一五〇円貸与
一、リンゴ袋張り-但し同業者妨害、供給過剰の恐れあり
一、市営電灯会社事業に一万九〇〇〇円計上する

 一級当選の佐藤誠四郎議員は、この案を説明して、電灯会社から三一万円の金が動き、市に五万円の償却金が入り、金融が緩和され、商家の不景気対策になるという。これに、佐藤要一議員は、「細民ヲ救済スルト云フ金額ハ甚ダ僅少ニシテ一方間接ナル電灯市営事業ニ要スル金額ノ多大ナルハ救済方法トシテ市会ノ調査セルモノトセバ果シテ如何ナルモノカ」と疑問を投げ、市会は自らを小田原評定と自嘲した。最後は、郷土の産業発展のためということで寄付された木村静幽(せいゆう)の一万円を使うかどうかになった。結局電灯会社出資金は見送られ、大正三年度弘前市凶荒及び窮民救済資金は三〇九一円七二銭三厘となった。