助役問題

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当時、弘前市会は、佐田正之丞市長代理の政友会派一一人、伊東重市政刷新会系の自治派一〇人、弘城政社小山派の弘前同志会派七人、中立二人の勢力分野で、菊池九郎市長辞職後、自治派と同志会派に推されて伊東重大正二年十月二十三日第八代市長となったが、翌三年二月十二日、わずか四ヵ月の在任で辞職した。理由は家庭事情であった。その後任が政友会の推す長尾義連となったが、非政友の推す市会議長佐藤英司と決選投票も同点で、年長者ゆえに勝利したのだった。このため次の助役問題が紛糾し、さらに非政友の民友会主体で市長退職建議案を提出、監督権の発動を青森県知事と内務大臣に求めた。三年十一月十三日、小浜松次郎県知事は市長退職建議を取り消し、助役問題も調停した。弘前市は二人助役制を廃止した。翌大正四年一月九日、反政友の旧自治会と弘前同志会が組織した民友会は解散し、また市議は三派となった。この民友会結成の陰には憲政擁護運動で華々しく活動した菊池武徳代議士が存在した。