弘前市処女会の設立

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市内の町には、嫁入り前の家事手伝いの女子や奉公に出て他家にある者などがおり、その境遇はさまざまであった。このような町の女子青年たちを組織化する動きが進められていた。それは「処女会」と呼ばれたが、実質的には女子青年団というべきものであった。大正十五年(一九二六)八月三十日、弘前市処女会の創立総会が時敏小学校を会場に行われた。結成の方式は青年団の場合と同じく、市内各小学校に分会を置き、その小学校長を分会長とし、女子教員を幹事として各分会ごとに運営された。弘前市処女会の設立に当たって、市長松下賢之進が会長となったのは市青年団の場合と同様であった。弘前市処女会発会式の主催者は市当局であったが、来賓として市会議員や学校教育関係者のほか第八師団から蒲少将が出席し、来賓を代表して祝辞を述べた。弘前市処女会結成のころの分会数は六、会員は合わせて四四六人に上り、その後会員を増やしていった。活動は地味だったが、家事向きの講習会や名士の講演会を開いたり、活動成果は着実に伸びていった。

写真192 千年小学校処女会(大正14年)