東北庁設置要望ノ件
「附言」
曩ニ日商定期総会後東北振興事務局及有力者ヲ歴訪シ、意見ヲ徴シタルニ、皆異口同音ニ共鳴セラレ、産業経済ヲ抜イテ政治ナシ、商工会議所トシテ如此意義アル問題ノ為メ努力セラルル事ハ至極結構テアル、宜敷全国実業家ヨリナル日本商工会議所ノ決議ヲ以テ、目的達成ノ為メ、努力邁進セラレタシトノ力強キ激励ノ辞ヲ受ケタル次第、御諒承セラレ度シ
東北商工会議所聯合会
幹事 弘前商工会議所会頭 宮川 忠助
一 我カ国産ハ輓近著シク長足ノ進歩ヲ遂ケ、凡ユル障壁ヲ突破シ「躍進日本」ノ産業ハ今ヤ世界ノ王座ヲ窺フノ概アルハ邦家ノ為メ慶祝ニ堪エサル処ナリ、然ルニ飜テ束北地方ハ地ノ利ヲ得ス、更ニ天恵甚タ薄ク、僅カニ農産物トシテ年一回ノ米アルモ、昭和三、六、七、九、十年度ノ如ク打チ続ク冷害水害ノ凶作ハ、遂二農村ヲ極度ニ疲弊セシメ、従テ商工業者ノ萎靡沈滞実ニ惨憺タルモノアリ
一 政府ハ之カ恒久的対策ノ必要ヲ認メ、昨年内閣ニ東北振興事務局ヲ設立セラレ、当局又鋭意研究調査ノ結果、曩ニ緊急且ツ重要事業ヲ企劃シ、予算ヲ計上セラレタルモ、不幸ニシテ大斧鉞ヲ加ヘラレアル状況ニシテ、頗ル遺憾トスル処ナリ、現ニ事務局内部ニ於テモ、是カ実行機関ナキヲ憂慮シツツアル状態ニアリ、サレバ此ノ際事情ヲ同ウスル東北各県ヲ一丸トシ、産業経済ヲ統制スル最高行政官庁、即チ内閣直属ノ東北庁ヲ設ケ、恒久ニ関スル行政ヲ以テ、財政経済、産業ノ振興ヲ確立スルニアラザレハ、此ノ如キ困憊セル東北地方ヲ、根本的ニ開発シ、更生救済ノ途ナカルヘキヲ憂フルモノナリ、之ヲ放任センカ、益々窮地ニ陥リ、サテハ死活問題トナリ、遂ニ不祥事件ヲ惹起スルニアラサルカヲ想ヒ洵ニ寒心ニ堪エサルモノアリ
一 由来東北人ハ温厚ニシテ素朴ナルモ、一旦蹶起センカ、義ノ為メ身命ヲ賭スルノ特異性ハ、彼ノ日露戦役ニ於ケル奉天及黒溝台ノ会戦、近クハ満州事変ノ熱河攻略ノ如キ、東北人ヲ以テ編成セシ第八師団将兵ヲ以テ戦局ヲ告ケタルカ如キ、既ニ全世界ノ均シク認ムル処ナルニ、夫何ゾ東北民ヲ幸ヒセザル、食スルニ糧ナク、唯天ヲ仰キテ嘆息アルノミ、サレハ此ノ危急存亡ノ難局ニ際シテ、「生キンカ為メ」ノ途ニ向ヒ、努力邁進セサルヲ得ス
一 何卒此ノ問題ニ対シテ特別ナル御同情ヲ垂レ、御協賛ノ上、実現運動ニ着手セラレ、東北民ヲ救済シ、国家興隆ノ為メ、一段ノ御協カヲ賜ハラントスルモノナリ
「附言」
曩ニ日商定期総会後東北振興事務局及有力者ヲ歴訪シ、意見ヲ徴シタルニ、皆異口同音ニ共鳴セラレ、産業経済ヲ抜イテ政治ナシ、商工会議所トシテ如此意義アル問題ノ為メ努力セラルル事ハ至極結構テアル、宜敷全国実業家ヨリナル日本商工会議所ノ決議ヲ以テ、目的達成ノ為メ、努力邁進セラレタシトノ力強キ激励ノ辞ヲ受ケタル次第、御諒承セラレ度シ
東北商工会議所聯合会
幹事 弘前商工会議所会頭 宮川 忠助
(前掲『弘前商工会議所五十年史』)
この提案が実現することはなかったが、このような案が作成される原因は、東北振興事業が戦争の進展とともに沈滞したことである。戦時経済下では、日本経済は一応の不況からの脱出を成し遂げ、東北、ことに青森県は戦争の拠点としての位置づけをなされ、政策の主眼も軍事中心に移行したのである。