農村の疲弊に対して政府も救農政策をとり、自作農創設維持資金を貸し付けたりしたが、青森県の場合、昭和五年には自作兼小作から自作になったもの一〇〇人に対して、自作農から小作に転落したものが一五四五人に達した。同年の全国の農家負債は四〇億円を超え、一戸当たり七、八百円という額になる。収穫前の産米を売る「青田売り」が行われ、地主、仲買、肥料商人が懐を肥やし、農家は借金で首が回らなくなると娘の身売りさえ行われた。
昭和六年、弘前の遊郭には貸座敷業二二軒で娼妓一一七人、ほかに弘前市内には芸妓六三人、酌婦三五人、女給九二人がいた。もちろんこれらの出身地は全国にわたっているが、生活困窮による女子人身売買類似行為は、弘前周辺では、昭和六年、芸妓二七人、娼妓四六人、酌婦六四人、女工一四四人、その他二五二人で合計五三三人、青森県全体では芸妓三四六人、娼妓二九五人、酌婦六二五人、女工二九二人、その他五五九人で計二一一七人に達した。
写真87 欠食児童救済のための学校給食(和徳小、昭和9年)