国土総合開発計画の進展と青森県の位置

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国土総合開発計画審議の本格化に伴い、青森県でも審議会が設けられた。昭和二十五年(一九五〇)八月に発足した青森県総合開発審議会は次のように記している。
 本審議会は、さきに県に設けられていた企画委員会および産業振興委員会の性格を継承し、県内各界の学識経験者を網羅して組織されたものであり、その構成は(中略)八部会二一委員会に分かれ、これに参画した委員の数は一九〇名、幹事五八名、さらに実際に作業に従事した(中略)職員を加えると三〇〇名以上の多きに達したのである。
青森県総合開発審議会『青森県総合開発五ケ年計画』一九五一年)

 また、同審議会は次の基本構想を立てた。
(1)本県中軸産業の生産の確保とその活用(中略)従来中軸産業としての地位を占めてきている農林水産業の生産施設を充実し、且つ生産者の所得を確保する。

(2)産業構造の近代化(中略)地場産業の育成、近代工業の誘致などによって第二次産業を増強し産業構造を近代的に再編成する。また、そのための前提として、輸送設備、動力供給などの整備を行う。

(3)資源開発と県土保全(中略)以上と相補完するものとして、県内各種資源の開発、県土の保全を並行してとり上げる。

(4)文化厚生施策の実施(中略)経済再建の原動力が労働にあることを思い、各種文化厚生施策の実施をも一応とりあげる。

(同前)

 このような青森県総合開発審議会の報告を受けて、青森県は総合開発計画書を作成した。この計画に基本開発コースとして盛られた四つの柱は、右に見た審議会の基本構想と同じものである。
 また、県は下北を特定地域とし、別途に計画を立てた。なお、県内の地区として、東青、北奥羽、岩木川、下北の四地域に区分している。開発の目標としては、「本県の開発目標は食糧増産を主目標とし、林業、水産、地下、電力、観光の各資源開発を副目標とした」(青森県『青森県総合開発計画要旨』)。青函圏に直接かかわる事項としては、青森港の整備がある。このことは「懸案となっている問題点の対策」として取り上げられている。なお、懸案となっている課題を項目のみ掲げると、次のとおりである。
 1 岩木川水系治水問題
 2 県内道路の整備
 3 青森港の整備
 4 下北の開発
 5 電源の開発と送電線の整備
 また、青森港の整備に関しては次の問題点が指摘されている。
 イ 北海道総合開発計画の進展に伴う内地、北海道間の輸送量の増加
 ロ 県自体の総合開発計画の進展に依る原材料及び製品の移出入の増加
 ハ 将来、貿易にたいする諸計画の実施
 これらの点から、青森港の使命は従来の商港の立場から、更に飛躍することが予想されるので、三〇〇〇噸(トン)級の船舶は勿論、一万噸級の大型船舶入港を予定して、これに対する接岸施設の整備を完全ならしめることとした。なお、これと並行して、陸上に連絡する東北、奥羽両線の複線化をも考慮した(青森県『青森県総合開発計画書』一九五一年)。
 その後の経過をたどれば、下北は国土総合開発法に基づく特定地域には指定されず、昭和三十二年(一九五七)に至り、目屋ダム建設などを課題とする十和田・岩木川地域及び八戸の工業立地条件の整備などを課題とし、岩手県北をも含む北奥羽地域が指定された。また、青森港の一万噸岸壁は、昭和三十一年(一九五六)に着工され、同三十五年(一九六〇)に完成した。
 なお、昭和三十二年(一九五七)には、東北開発促進法が制定された。この法律の趣旨は、東北地方の地方総合開発計画を国が作成し、また、国の財政負担率を北海道に準じて高くするというものであった。それまでの国土総合開発法では、地方総合開発計画は地方が作成し、国が審査するようになっていたのを、東北に関して改めたものである。
 また、県の計画の立案の経過について、県企画部は次のように回顧している。
国は、三十七年に「全国総合開発計画」を策定(中略)した。この計画と対応して三十七年に本県の所得水準を全国水準の八五%まで高めることを基本目標とした「第一次青森県長期経済計画基本計画」を策定した。その後(中略)「豊かで住みよい青森県」の建設を目的とした「第二次青森県長期経済計画」を四十六年六月策定した。(中略)国は「新全国総合開発計画」(四十四年五月)を策定した。これに対応して、高速交通体系の整備、高生産性農業の育成、むつ小川原開発の推進等を積極的にすすめることを目的として、県は四十六年度を初年度とし六十年度を目標とする「青森県新長期計画」を四十六年(一九七一)八月に策定した。(中略)国は人口の地方定住構想を柱とする「第三次全国総合開発計画」を策定した(五十二年十一月)。一方本県においても、新しい計画を策定する必要に迫られ、県民の福祉を総合的に向上させ、「豊かで住みよい活力のある地域社会」を建設することを基本目標にした「第四次青森県長期総合計画」を昭和五十二年十一月に策定した。
(青森県企画部『昭和六十年度版青森県の姿』青森県統計協会、一九八六年)

 この後、青森県は、政府の第三次全国総合開発計画の見直しに合わせて、第五次の長期経済計画の策定作業に入り、昭和六十二年四月に国の第四次全国総合開発計画が閣議決定される直前、同年十一月に作業を終えた。