写真220 第22~26代市長藤森睿
弘前市総合開発審議会条例(昭和四十四年弘前市条例第二十号)
(設置)
(所掌事務)
第二条 審議会は、市長の諮問に応じ、総合開発計画を審議する。
(委員)
第三条 審議会は、委員二十五人以内をもって組織する。
2 委員は、次の各号に掲げる者のうちから市長が任命する。
一 弘前市議会の議員
二 知識経験を有する者
三 公共的団体等の役員及び職員
四 関係行政機関の職員
五 その他市長が必要と認める者
3 委員は、当該諮問に係る審議が終了したときは、解任されたものとする。
(会長)
第四条 審議会に会長を置き、会長は委員の互選により定める。
2 会長は、会議の議長となり、会務を総理する。
(会議)
第五条 審議会の会議は、会長が招集する。
2 審議会は、委員の半数以上が出席しなければ会議を開くことができない。
3 審議会の議事は、出席委員の過半数で決し、可否同数のときは、議長の決するところによる。
(委任)
第六条 この条例に定めるもののほか、審議会に関し必要な事項は、市長が定める。
附則
1 この条例は、公布の日から施行する。
2 弘前市建設審議会設置条例(昭和三十一年弘前市条例第三十八号)は、廃止する。
右の附則にあるように、昭和三十一年に施行された弘前市建設審議会設置条例は廃止された。こうして設立された審議会で精査された原案は、昭和四十六年(一九七一)十二月の弘前市議会で承認された。この計画は、基本構想の部は昭和六十年代を、基本計画の部は五十年までを年次目標として設定しており、高度経済成長の継続を前提とした計画になっている。国民所得の見通しは以下のようになっている。
この計画が策定された時代的な背景としては、高度経済成長の発展に伴うひずみがある。この点につき、次のような課題が生じていた。即ち、①工業と農業の経済水準の格差の存在、②農村地帯の若年労働者の流出、③出稼ぎ者増大、④物価上昇、道路・住宅などの建設の遅れである。
この時期に国レベルでは社会開発に力を入れ、昭和四十四年(一九六九)に、六十年までを目標にした新全国総合開発計面などを策定した。これに対応して、青森県は昭和四十三年(一九六八)に第二次長期経済計画を策定実施し、さらに、第三次長期計面の策定を進めた。このように、国・県ともに新しい開発計画を組み、経済・生活環境水準の格差是正に努めていた。
弘前周辺地域では、東北縦貫高速自動車道路の開通が間近になり、また、青函トンネル開通、新空港整備などの高速交通時代の開始が予定されていた。弘前市はこうした背景を踏まえて、津軽地域を含めた広域の計画を策定しなければならなかったのである。
立案された基本計画は以下の七編からなっていた。
産業発展に加え、生活の快適便利さや住み良い町 作 り が目指されている。
(設置)
第一条 本市の総合開発計画の策定に資するため、弘前市総合開発審議会(以下「審議会」という。)を設置する。
(所掌事務)
第二条 審議会は、市長の諮問に応じ、総合開発計画を審議する。
2 審議会は、総合開発計画について必要があると認めるときは、市長に意見を述べることができる。
(委員)
第三条 審議会は、委員二十五人以内をもって組織する。
2 委員は、次の各号に掲げる者のうちから市長が任命する。
一 弘前市議会の議員
二 知識経験を有する者
三 公共的団体等の役員及び職員
四 関係行政機関の職員
五 その他市長が必要と認める者
3 委員は、当該諮問に係る審議が終了したときは、解任されたものとする。
(会長)
第四条 審議会に会長を置き、会長は委員の互選により定める。
2 会長は、会議の議長となり、会務を総理する。
3 会長に事故があるとき又は会長が欠けたときは、あらかじめ会長の指名する委員がその職務を代理する。
(会議)
第五条 審議会の会議は、会長が招集する。
2 審議会は、委員の半数以上が出席しなければ会議を開くことができない。
3 審議会の議事は、出席委員の過半数で決し、可否同数のときは、議長の決するところによる。
(委任)
第六条 この条例に定めるもののほか、審議会に関し必要な事項は、市長が定める。
附則
1 この条例は、公布の日から施行する。
2 弘前市建設審議会設置条例(昭和三十一年弘前市条例第三十八号)は、廃止する。
3 審議会が新たに組織された場合の最初の会議は、第五条第一項の規定にかかわらず市長が招集する。この場合において、同条同項中「会長」とあるのは「市長」と読み替えるものとする。
右の附則にあるように、昭和三十一年に施行された弘前市建設審議会設置条例は廃止された。こうして設立された審議会で精査された原案は、昭和四十六年(一九七一)十二月の弘前市議会で承認された。この計画は、基本構想の部は昭和六十年代を、基本計画の部は五十年までを年次目標として設定しており、高度経済成長の継続を前提とした計画になっている。国民所得の見通しは以下のようになっている。
昭和四十三年の市民一人当たり所得は約三〇〇、〇〇〇円で、全国の平均所得に対しては約七〇%、青森県の平均所得に対しては約一一〇%の水準にある。
国民所得に対する格差は縮小しているが、さらに格差を縮小し全国水準に到達するには、農工併進の施策を推進し、産業構成を全国の平均的構成に近づけるとともに、一次産業と二次産業の所得格差を解消することが必要である。
本市の経済および市民生活水準は、日本経済の動向や県経済の動向によって大きな影響を受けるが、昭和五十年の市民一人当たりの所得水準は、四十三年の三〇〇、〇〇〇円から一・八倍伸びて五五四、〇〇〇円に、さらに六十年にはおおむね一、一〇〇、〇〇〇円~一、二〇〇、〇〇〇円となり、国民所得水準との格差は九〇%まで縮小し、現在の米国の水準なみとなる。
国民所得に対する格差は縮小しているが、さらに格差を縮小し全国水準に到達するには、農工併進の施策を推進し、産業構成を全国の平均的構成に近づけるとともに、一次産業と二次産業の所得格差を解消することが必要である。
本市の経済および市民生活水準は、日本経済の動向や県経済の動向によって大きな影響を受けるが、昭和五十年の市民一人当たりの所得水準は、四十三年の三〇〇、〇〇〇円から一・八倍伸びて五五四、〇〇〇円に、さらに六十年にはおおむね一、一〇〇、〇〇〇円~一、二〇〇、〇〇〇円となり、国民所得水準との格差は九〇%まで縮小し、現在の米国の水準なみとなる。
(弘前市『弘前市総合開発計画基本計画』一九七二年)
この計画が策定された時代的な背景としては、高度経済成長の発展に伴うひずみがある。この点につき、次のような課題が生じていた。即ち、①工業と農業の経済水準の格差の存在、②農村地帯の若年労働者の流出、③出稼ぎ者増大、④物価上昇、道路・住宅などの建設の遅れである。
この時期に国レベルでは社会開発に力を入れ、昭和四十四年(一九六九)に、六十年までを目標にした新全国総合開発計面などを策定した。これに対応して、青森県は昭和四十三年(一九六八)に第二次長期経済計画を策定実施し、さらに、第三次長期計面の策定を進めた。このように、国・県ともに新しい開発計画を組み、経済・生活環境水準の格差是正に努めていた。
弘前周辺地域では、東北縦貫高速自動車道路の開通が間近になり、また、青函トンネル開通、新空港整備などの高速交通時代の開始が予定されていた。弘前市はこうした背景を踏まえて、津軽地域を含めた広域の計画を策定しなければならなかったのである。
立案された基本計画は以下の七編からなっていた。
第一編 目標年次の経済社会の見通し、第二編 快適・便利な生活をめざして、第三編 豊かな産業をめざして、第四編 健康で住みよい都市をめざして、第五編 教育と文化の創造をめざして、第六編 高福祉社会をめざして、第七編 行政計画
(同前)
産業発展に加え、生活の快適便利さや住み良い