七月一日、落成記念式典が行われ、福士市長が式辞とテープカットをして施設の完成を祝った。総事業費六六億七六〇〇万円を投じた大事業だった。当時の弘前市がいかに観光に力を入れていたかがわかるだろう。弘前市の記録と記憶を伝える諸施設を、追手門広場に集約したことが特徴である。追手門広場は弘前市観光の拠点として、弘前城と市役所に近接する形で位置づけられている。
写真232 追手門広場の落成記念式典
市制百周年記念事業として、追手門広場とともに忘れてはならないのが、藤田記念庭園の開園である。もともとこの敷地は弘前市出身の実業家で、日本商工会議所初代会頭を務めた藤田謙一が、大正八年(一九一九)に建設した別邸だった。戦後はみちのく銀行頭取の唐牛敏世が所有していたが、昭和六十二年(一九八七)に市制百周年記念事業として市が買収した。三年半の歳月と一三億円にのぼる費用をかけて建物を改築修理し、庭園が復元された。庭園は観光地の一つとして位置づけられ、庭園内には考古館もあり、市内各所の遺跡から出土した遺物などが展示されている。
昭和三十四年に新築された市役所の庁舎をはさむようにして追手門広場と藤田記念庭園は建っている。市役所の前面には弘前公園が広がっている。弘前市の心臓部であるこの地に、市の記録と記憶を生み出す拠点が作られた意義は非常に大きい。市立図書館には藩政時代からの貴重な古文書が多数あり、弘前藩の研究には不可欠な資料が揃っている。
だが明治以降、近代国家になってからの弘前市役所の行政文書も数多く保存されていることは、案外知られていない。とくに歴代の合併で弘前市に編入された旧町村時代の公文書もたくさんあり、今では貴重な歴史資料として書庫に保存されている。編入された町村役場のなかには、すでに行政文書が存在していないところもある。合併編入町村の公文書は、それらの町村の歴史を語る貴重な歴史資料なのである。市制百周年で追手門広場に象徴される地域の記録と記憶を育む拠点が完成した。いつの日か、市の記録と市民の記憶である歴代の公文書や、市民が保管している貴重な書簡や記録類などの私文書をも併せたシステムがつくられるかもしれない。