私は小説というものに心惹かれ、自らもその実作者となって筆を弄するようになってから、たった一つのことだけを目指して筆をとって来た。私は、なにごとによらず、物ごとが不当に扱われることを好まないので、力をつくして、それらの処遇を正当化することを、私の小説活動の唯一の目標にして来た。悪でないものが、悪として処遇されたり、善でないものが善であるように評価されたりする不当な扱いを、正当に評価し、出来れば正当に是正したいと、どんな小さな書きものにも私は心をこめて、努力してきたのである。
今官一のこの真摯な態度が終始一貫していることは、官一を間近で見てきた、例えば元東奥日報社文化部長の工藤英寿や、官一が主宰した同人誌「現代人」に参加し、平成十五年四月に『直木賞作家 今官一先生と私』を上梓した安田保民が口を揃えていることからも明らかである。官一の文学へのこの姿勢と、その知的で詩情にあふれる文体は、例えば、昭和四十年の半年間、雑誌「自由」に連載した「鴉の宿はここである」の作品でも見ることができる。これは大塚甲山を活写した小説である。
周知のように、大塚甲山は三十二年という短い生涯のなかで、しかも、詩作を始めてから一三年間で、実に九七〇篇の詩を残している。また、大塚甲山を研究しているきしだみつおによれば、さらに俳句が一万余句、短歌二四〇〇首、そのほかにも紀行文・随筆など、まことに驚くべき多量の作品を残している。官一は、この一冊の詩集も残さなかった不幸な詩人を「正当に是正したい」ゆえに小説化を試みたようである。『今官一作品』によって読むことができるが、官一の甲山への哀悼の念が胸を撃(う)つ。
今官一の『牛飼いの座』(昭和三十六年 講談社刊)は「北海道開拓に大功労のあったエドウィン・ダンというアメリカ人に対する日本歴史の不当な評価を正当に評価する」ために発表した代表作である。世評も高かった。例えば長部日出雄はこう評する。
アメリカのオハイオから日本に来て、北海道農業の建設者となり、代々木で八十二歳の生涯を終えたエドウィン・ダンの一人称で物語が展開されるという野心的な構成になっている。(中略)第十九章の題になっている「永遠のフロンティア」は、ドイツ・ロマン派の「青い花」とおなじように今文学を象徴する言葉といってよいであろう。この章で星座をめぐってかわされる会話は、日本という限定なしでロマン派と呼ぶにふさわしい今文学のピークのひとつである。