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凡例
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目次
[目次]
第一編 歴史の背景としての自然
第一章 位置と面積
第二章 地質
第三章 地形
第一節 豊津町を含む行橋平野の地形
一 行橋平野の概観
二 行橋平野の台地
〔行橋平野の台地〕
(1) 高位段丘(H1)面
(2) 高位段丘(H2)面
(3) 中位段丘(M1)面
(4) 中位段丘(M2)面
(5) 低位段丘(L)面
三 行橋平野の低地
〔行橋平野の低地〕
(1) 沖積層
(2) 沖積面
第二節 豊津町の地形
〔豊津町の地形〕
一 丘陵地
二 台地
〔台地〕
(1) 高位段丘(H2)面
(2) 中位段丘面
(3) 低位段丘面
三 低地
[低地]
第三節 地形と遺跡の分布の関係
一 旧石器時代
二 縄文時代
三 弥生時代
四 古墳時代
五 歴史時代
第四章 気候
〔気候〕
第一節 気候要素
一 気温
(1) 福岡県の気温分布
(2) 豊津町の気温分布
(3) 福岡県の昭和五十二年の寒冬と昭和五十五年の冷夏
二 降水量
(1) 福岡県の降水量分布
(2) 豊津町の降水量分布
第二節 九州と福岡県の気候区分
〔九州と福岡県の気候区分〕
一 九州の気候区分
〔九州の気候区分〕
(1) 日本海型気候区
(2) 内海型気候区
(3) 西海型気候区
(4) 内陸型気候区
(5) 南海型気候区
(6) 山地型気候区
(7) 亜熱帯気候区
二 福岡県の気候区分
〔福岡県の気候区分〕
(1) 山陰型気候区
(2) 瀬戸内海型気候区
(3) 西九州内陸型気候区
第三節 福岡県の季節の変化
〔福岡県の季節の変化〕
一 春
二 梅雨
三 夏
四 台風・秋霖
五 秋
六 冬
第四節 平成五年及び六年夏の異常気象について
一 平成五年夏の異常気象
二 平成六年夏の異常気象
第二編 先史・原史
第一章 旧石器時代
第一節 旧石器時代概説
一 人類の誕生
人類の発生と進化
旧石器人の道具
二 日本の旧石器時代
旧石器時代の自然環境
日本の旧石器
第二節 豊津の旧石器時代の遺跡
〔豊津の旧石器時代の遺跡〕
徳永川ノ上遺跡
鋤先遺跡
長養池遺跡
第三節 豊前地方の旧石器時代
〔豊前地方の旧石器時代〕
宇佐・中津地域の遺跡
京築地域の遺跡
北九州市域東部の遺跡
第四節 北部九州の旧石器時代の遺跡
前期旧石器の遺跡
ナイフ形石器の文化
細石刃の文化
第二章 縄文時代
第一節 縄文時代概説
一 自然環境の移り変わり
気候と地形の変化
植物相の変化
動物相の変化
二 土器の地域性と文化・技術の変遷
〔土器の地域性と文化・技術の変遷〕
草創期
早期
前期
中期
後期
晩期
三 縄文人の生活と信仰
集落と住居
縄文人
縄文人の信仰
装飾と装身具
第二節 豊津の縄文時代の遺跡
〔豊津の縄文時代の遺跡〕
一 節丸西(せつまるにし)遺跡
〔節丸西(せつまるにし)遺跡〕
調査経過と遺跡の概要
遺構の詳細
遺跡の性格
二 徳永川ノ上(とくながかわのうえ)遺跡
〔徳永川ノ上(とくながかわのうえ)遺跡〕
遺跡の内容
三 神手(こうで)遺跡
〔神手(こうで)遺跡〕
四 鋤先(すさぎ)遺跡
〔鋤先(すさぎ)遺跡〕
五 その他の遺跡
〔その他の遺跡〕
丸山遺跡
尾花原南遺跡
台ケ原南遺跡
頭無池東遺跡
第三節 京築地域の縄文文化
一 各時期の遺跡
〔各時期の遺跡〕
二 集落と墓地
墓地
三 生産活動
〔生産活動〕
狩猟活動
漁労活動
植物性食料の採集活動
第四節 北部九州の縄文時代の遺跡
〔北部九州の縄文時代の遺跡〕
第三章 弥生時代
第一節 弥生時代概説
一 水稲農耕社会の成立
〔水稲農耕社会の成立〕
稲作の伝来と伝播
初期の水田
初期の農耕具
弥生人
二 道具と製作技術
〔道具と製作技術〕
弥生土器
石器
青銅器
鉄器
木製品
その他の道具
衣服と装身具
三 集落と墓地
〔集落と墓地〕
住居
倉庫
集落
各種の埋葬施設
墓地の構造と変遷
生産地(水田)の拡大
四 クニの発生と展開
〔クニの発生と展開〕
村からクニへ
倭国大乱と卑弥呼
倭国のクニグニ
第二節 豊津の弥生時代の遺跡
〔豊津の弥生時代の遺跡〕
一 徳永川ノ上(とくながかわのうえ)遺跡
発掘調査の契機と調査方法
遺跡の概要
集落の調査
二 金築(かなつき)遺跡
〔金築(かなつき)遺跡〕
遺跡の詳細
三 源左エ門(げんざえもん)屋敷遺跡
〔源左エ門(げんざえもん)屋敷遺跡〕
四 神手(こうで)遺跡
五 北垣(きたがき)遺跡
〔北垣(きたがき)遺跡〕
六 居屋敷(いやしき)遺跡
〔居屋敷(いやしき)遺跡〕
調査の契機と遺跡の概要
七 その他の遺跡
若山遺跡
馬苦労(ばくろう)遺跡
新村ノ上遺跡
長養池南遺跡
尾花原北遺跡
山ノ神遺跡
辻ノ後遺跡
寺屋敷遺跡
荒谷池遺跡
上徳政遺跡
上坂中村遺跡
巣鳥池(すどりいけ)遺跡
平(たいら)遺跡
カワラケ田遺跡
国富池(くにとみいけ)遺跡
中尾遺跡
平塚遺跡
頭無(ずなし)池遺跡
大正池遺跡
黒坪遺跡
羽熊(はぐま)遺跡
第三節 京築地域の弥生文化
集落の立地環境
前期の集落
中期の集落
後期の集落
墓地の変遷
三 道具の変化
土器の地域性
石器の地域性
第四節 北部九州の弥生時代の遺跡
〔北部九州の弥生時代の遺跡〕
第四章 古墳時代
第一節 古墳時代概説
一 古墳時代の始まり
〔古墳時代の始まり〕
墳丘墓から古墳へ
大和政権の誕生
古墳時代の時期区分
古墳の種類と構造
卑弥呼の鏡
二 古墳時代の変遷
前期の古墳
中期の古墳
後期の古墳
終末期
終末期の古墳
三 生産と流通
〔生産と流通〕
鉄の生産
塩の生産
玉の生産と流通
須恵器の生産
埴輪の生産
古墳の石材と産地
四 生活
庶民の暮らし
豪族の居館
古墳時代の食生活
第二節 豊津の古墳
〔豊津の古墳〕
一 柱松(はしらまつ)古墳群
〔柱松(はしらまつ)古墳群〕
1号墳の調査
二 彦徳甲塚(けんどくかぶとづか)古墳
〔彦徳甲塚(けんどくかぶとづか)古墳〕
三 甲塚方墳
〔甲塚方墳〕
墳丘の構造
石室
出土遺物
四 北垣(きたがき)古墳群
〔北垣(きたがき)古墳群〕
調査方法と遺跡の概要
五 川ノ上古墳群
〔川ノ上古墳群〕
六 鋤先(すさぎ)遺跡
調査の内容
七 その他の古墳
〔その他の古墳〕
八景山(はっけいざん)山麓古墳群
八景山南古墳群
惣社(そうしゃ)古墳
尾花原地下式横穴墓
甲塚北古墳
彦徳横穴蟇群
村ノ上古墳
新村ノ上古墳
高崎山古墳群
荒谷古墳
巣鳥古墳
球塚古墳
台ケ下古墳群
上徳政(かみとくせい)古墳
宮ノ前古墳
中原古墳
京塚古墳群
吹上古墳群
三ッ塚古墳群
イモジ古墳群
頭無池西古墳群
上ノ山古墳
白鳥古墳群
古門山古墳群
椎ノ木山古墳群
峯ケ辻古墳
火垣古墳群
谷ケ迫古墳
今村古墳
在馬古墳群
大塚北古墳群
大塚南古墳群
古墓山古墳
永迫古墳
福ケ迫古墳
山口古墳群
第三節 豊津の古墳時代の遺跡(古墳以外の遺跡)
〔豊津の古墳時代の遺跡(古墳以外の遺跡)〕
一 源左エ門屋敷(げんざえもんやしき)遺跡
〔源左エ門屋敷(げんざえもんやしき)遺跡〕
二 呰見(あざみ)遺跡・カワラケ田遺跡
〔呰見(あざみ)遺跡・カワラケ田遺跡〕
三 二月谷(にがつだに)祭祀遺跡
〔二月谷(にがつだに)祭祀遺跡〕
四 居屋敷(いやしき)遺跡
居屋敷窯跡
焚口部
燃焼部
焼成部
煙出部
窯内遺物の出土状況
窯内からの出土遺物
第四節 京築地域の古墳文化
一 古墳の変遷
〔古墳の変遷〕
二 集落の変遷
終末期の集落
三 その他の遺跡
第五節 北部九州の古墳文化
一 古墳の出現
〔古墳の出現〕
初期の古墳
前期の集落と居館
二 北部九州の豪族と中期の古墳
記紀の豪族
中期の主要古墳
石室の変化
三 後期・終末期の北部九州
在地豪族の変容
後期の主要古墳
各種の生産遺跡
第三編 古代(奈良・平安時代)
第一章 古代概説(大化以後)
律令の整備と中央集権国家
平城京遷都と律令制の動揺
平安京遷都と政治の改革
藤原氏の発展と摂関政治の時代
律令制の変質と政治の乱れ
第二章 古代郷土の夜明け
第一節 記紀などにみる郷土
天皇遠征説話と郷土の豪族
「長峡県(ながおのあがた)」と「京(みやこ)」
豊国の名のおこり
筑紫君磐井(つくしのきみいわい)と豊(とよ)の豪族
屯倉(みやけ)の設置と豊の豪族
第二節 古代山城の築造
〔古代山城の築造〕
西日本の古代山城
神籠石の性格
御所ケ谷神籠石
第三節 仏教の伝播と初期寺院
一 豊津の初期寺院
(一) 上坂廃寺(かみさかはいじ)建立の背景
仏教の伝来と広がり
豊前地方の仏教
(二) 上坂廃寺
謎(なぞ)に包まれた寺院
上坂廃寺跡の遺構・出土品
上坂廃寺の存立時期
圃場整備と上坂廃寺
二 豊津町周辺の初期寺院
(一) 椿市廃寺(行橋市福丸)
四天王寺(してんのうじ)式伽藍配置
多彩な文化交流のあと
(二) 木山廃寺(犀川町木山)
明治の土地改修で出土
不明な伽藍配置
第三章 律令政治の展開と郷土-奈良・平安時代-
第一節 豊前国の誕生
一 筑紫島から九国三島へ
筑紫島四国から筑紫七国へ
九国の誕生と豊前国
二 大宰府と管内諸国
大宰府の成立と九国三島の総管
大宰府の官人と機構
大宰府と管内諸国とのかかわり
第二節 地方行政のしくみ
一 豊前国府
(一) 豊前国府の設置
国府の設置
府域とその構造
国府の官人
(二) 豊前国府の所在地と惣社
(1) 豊前国府の所在地をめぐって-文献と学説-
文献にみる豊前国府
豊前国府をめぐる学説
(2) 豊前国府国作説の浮上
ゴミ焼却場候補地と発掘調査
道路建設と発掘調査
豊前国府国作説の浮上と問題点
(3) 豊前国府推定地の保存をめぐる動き
国府を守る大きな輪
豊前国府・国分寺調査研究会の発足
研究会の活動と成果
(4) 惣社八幡と豊前国府
国司と総社
豊前国総社
(三) 豊前国府推定地の発掘調査
地理的・歴史的環境
調査の契機と調査概要
惣社地区の調査
政庁地区の調査
国府調査の意義
国府の保存と課題
(四) 九州の官衙とその現状
西海道の官衙
大宰府の設置と内容
西海道の国府
西海道の郡衙
二 郡衙と郷土の豪族たち
(一) 国・郡・里(郷)制
(二) 郡司とその職務
(三) 郡衙(ぐんが)(郡家(ぐんげ))とその構造
(四) 京都郡と仲津郡の郡衙
(五) 史料にみえる郷土の郡司
第三節 官道と駅制
一 古代の交通
〔古代の交通〕
駅制の制定
官道の実態
二 京築地域の官道と駅制
京築地域の官道
大宰府―豊前国府道
多米―到津道
三 九州の官道と駅制
西海道の官道
発掘調査された官道
第四節 律令制下の人々の生活
一 戸籍の編成と豊前国
大化以前の戸籍
大化の改新以後の戸籍
戸籍の作成と内容
正倉院に残る豊前国戸籍
二 秦氏の豊前国進出と開発
秦氏の豊前国への進出
秦氏とその技術
三 班田収授と農民の生活
(一) 班田収授と豊前国
班田収授の法
田令に合わない豊前国の受田
(二) 農民の負担とその生活
(1)さまざまな負担
(2) 厳しい農民の生活
(3) 税にみる豊前国の産物
四 班田収授と条里制
条里制(じょうりせい)の施行
京都・行橋平野の条里制遺構
豊津町域の条里地名
条里制遺構の消滅
第五節 郷土を巻き込んだ内乱
一 隼人の乱と郷土
律令国家と隼人(はやと)
隼人の討伐と背景
豊前国と隼人の乱
宇佐宮放生会
二 藤原広嗣の乱と郷土
乱とその背景
政府の対応と乱の様子
乱の終結と乱後の処理
乱と郷土の郡司たち
広嗣への支持と伝承
第六節 豊前国分寺の建立と移り変わり
一 鎮護国家と国分寺
鎮護国家の仏教政策
国分寺建立の目的
国分寺の占地と伽藍
国分寺の経済的基盤
二 豊前国分寺の建立
豊前国分寺の立地と完成
国分寺の建立と郷土
豊前国分寺の移り変わり
三 豊前国分寺の発掘調査
(一) 豊前国分僧寺跡の発掘調査
〔豊前国分僧寺跡の発掘調査〕
発掘調査の契機
A区の調査
B区の調査
C区の調査
D区の調査
E区の調査
F区の調査
G区の調査
発掘調査のまとめ
(二) 豊前国分尼寺跡の発掘調査
〔豊前国分尼寺跡の発掘調査〕
尼寺の歴史的変遷
発掘調査の内容
(三) 豊前国分寺の関連遺跡
(1) 正道(しょうどう)遺跡
〔正道(しょうどう)遺跡〕
(2) 北原遺跡
〔北原遺跡〕
(3) 徳政瓦窯跡
〔徳政瓦窯跡〕
第七節 京築地域における奈良時代以降の遺跡
第四章 律令政治のゆらぎと郷土
第一節 荘園の広がりと豊前国
一 荘園の出現と広がり
公地公民制の崩れと荘園の出現
荘園の発達
豊前国内の荘園
二 宇佐八幡宮と弥勒寺の荘園
宇佐宮の荘園
弥勒寺の荘園
第二節 武士のおこりと豊前国
一 武士のおこりと発展
武士のおこり
武士の発展
二 北部九州の武士団
豪族の兵士の活躍
豊前の武士団
第四編 中世(鎌倉・室町・安土桃山時代)
第一章 中世概説
第一節 鎌倉時代の豊前地方
源平の争乱後の九州処理
関東御家人の九州入り
蒙古襲来と北条一門の九州入り
第二節 室町幕府の成立と九州の守護大名たち
南北朝期の内乱
九州探題今川了俊
大内氏の豊前の国人被官化
幕府の守護大名への政治工作
応仁の乱と大内氏の滅亡
第三節 北部九州の戦国大名の興亡
大友宗麟と北部九州経略
毛利氏の北部九州侵入
大友氏と毛利氏の争い
大友氏と北部九州の国人たち
豊臣秀吉の九州征伐
第二章 鎌倉時代の豊前国
第一節 鎌倉幕府の九州支配
一 壇ノ浦合戦後の動き
幕府の国地頭・国奉行の派遣
頼朝と義経の相剋(そうこく)
二 関東御家人の西遷と活動
(一) 宇都宮信房の入国
貴海島遠征
田川郡伊方庄地頭中原信房
尻高浦進出など
泉涌寺創建と出家・受戒
(二) 三前一島の守護少弐資頼
武藤(少弐)氏の入国まで
大宰府在庁官人武藤氏
(三) 宇都宮氏一族の進出
紀井一族の繁衍(はんえん)
〈野仲氏〉
〈山田氏〉
〈西郷氏〉
第二節 公領と荘園
一 京都平野の荘園
「豊前国図田帳断簡」の荘園
宇佐宮と弥勒寺の荘園
二 京都・仲津両郡の荘園の変遷
〔京都・仲津両郡の荘園の変遷〕
〈天雨田庄〉
〈大野井庄〉
〈京都庄〉
〈津隈庄〉
第三節 蒙古襲来と鎮西の御家人
一 文永・引安の役
(一) 文永の役
フビライの使者と日本の対応
元の襲来
日本軍の奮戦と元軍の撤退
(二) 弘安の役
元の使者の処刑と元の再襲来
戦いの様子と元軍の壊滅
二 第三回の襲来計画
フビライの再征準備
幕府の西国警備強化策
第四節 霜月騒動・岩門合戦と豊前武士
一 霜月騒動
平頼綱が安達泰盛を滅ぼす
弘安の徳政と泰盛
二 岩門合戦
少弐経資と景資の合戦
合戦の余波と豊前国武士
第五節 鎮西談議所と宇都宮通房の活動
一 鎮西談議所の設置
弘安九年の法令
鎮西談議所の権限
二 鎮西四奉行人宇都宮通房
肥後守護代から筑後国守護へ
鎮西引付衆宇都宮頼房
第六節 鎮西探題と北条一門の進出
一 鎮西探題の成立
鎮西探題の成立経過と権限
異国撃退の恩賞
二 北条氏一門の九州進出
北条氏一門の下向
第三章 室町時代の豊前国
第一節 鎮西探題の滅亡
一 後醍醐天皇の倒幕行動
倒幕計画と幕府の対応
楠木正成・護良親王の挙兵
二 反幕府勢力の動きと攻防
菊池武時らの挙兵
長門探題、伊予で敗退
尊良親王ら肥前で蜂起
長門方面の攻防
三 倒幕と鎮西探題の滅亡
足利高氏の動きと新田義貞の挙兵
鎮西探題館への攻撃
大和弥六左衛門尉高房の動き
第二節 建武の新政・南北朝時代と九州の動向
一 建武の新政と郷土
恩賞と国司・守護の任用
糸田貞義・規矩高政の乱
二 足利尊氏の反逆
京都突入と九州への敗走
多々良浜の戦いの勝利と上洛
鎮西管領一色氏と九州の武士
三 鎮西管領足利直冬と郷土
足利直冬九州へ入る
少弐頼尚の直冬支援
観応の擾乱と直冬
光富城の戦い
直冬・頼尚南朝方へ
四 征西将軍宮懐良親王と郷土
懐良親王の九州入り
懐良親王の北九州制圧
頼尚北朝方へ
大保原の戦いと頼尚の凋落(ちょうらく)
馬ケ岳の戦い
五 九州探題今川丁俊と宇都宮氏の乱
今川了俊の九州上陸と大宰府陥落
城井常陸前司入道の挙兵
水島の陣(菊池氏への攻撃)
第三節 大内・大友氏の豊前国進出
一 大内義弘の豊前入国
大内義弘の九州出陣
大内氏、豊前国守護へ
今川了俊の帰京
大内義弘の挙兵
二 大内盛見の豊前入国と支配
大内盛見の抵抗と豊前守護職
国分寺領・宇佐宮領の再興
国人の被官化
大友孝親の乱(三角畠の乱)
盛見の敗死と豊前国
三 大内持世の北九州平定
大内持世・持盛の争い
大内持世と大友持直の戦い
鞍持の合戦
姫岳の合戦
四 応仁の乱と郷土武士
大内教弘の治政
大内政弘西軍へ
大友親繁の豊前支配
大内教幸の挙兵
大内政弘の豊前・筑前奪回
五 馬ケ岳の合戦と郷土武士
大内・大友の調略合戦
大友親治の豊前進入
沓尾(くつお)崎の合戦
大内義興の全盛
朽網親満と道場寺
六 大内義隆と大友義鑑の対立
勢場ケ原(せいばがはら)合戦
豊前の人々の雑多な負担
七 大内氏の滅亡
大内義隆、文事に耽溺(たんでき)
陶・内藤・杉氏の反逆
第四章 戦国時代の豊前国
一 大友義鎮の豊前入国
大友晴英の大内家襲封
杉伯耆守重矩の誅伐
陶晴賢の滅亡
大内義長の滅亡
大友義鎮の豊前侵入
山田隆朝の挙兵
秋月文種の討滅
西郷隆頼の挙兵
大友義鎮の全盛
二 大友氏と毛利氏の衝突
門司城争奪戦
大友方高橋鑑種の離反
松山城の攻防
毛利・大友の一時和睦
大坂山の戦い
三岳の戦い
戦国時代の国分寺領
立花城の攻防
大内輝弘の山口侵入
毛利軍、九州から撤退
三 大友氏の衰退
高橋鑑種、大友と和睦し小倉へ
大友氏の日向侵略と大敗
蓑島の戦い
四 高橋元種の台頭
元種、長野助守らを勢力下に
田原親貫が挙兵
宇佐宮の離反
野仲鎮兼の独立
五 宇佐宮・彦山回禄
彦山焼失
宇佐宮焼失
六 高橋元種の豊前制圧
豊前衆の離反と大友方の反撃
龍造寺隆信戦死
第五編 近世
第一章 近世概説
[近世概説]
秀吉の九州平定
黒田氏の入部と領国支配
細川氏の入部と領国支配
細川氏の肥後転封
小笠原氏の入部
キリシタン禁制
寛文・延宝期の藩政
飢饉
寛政期の藩政
化政期以降の藩政
幕末の動乱と小笠原藩
大政奉還から明治へ
第二章 桃山時代
第一節 豊臣秀吉の下向
一 島津氏の討伐
九州出兵の準備
島津軍の北上と上方勢の渡海
島津軍の豊後占領
二 上方勢の豊前諸城の攻略
黒田孝高の馬ケ岳入城
宇留津城潰滅
香春岳城開城
秀吉馬ケ岳城入城
岩石城潰滅
三 九州征討の終わり
羽柴秀長への指示と豊前支配
九州分目(わけめ)
第二節 黒田氏の入封
黒田孝高の法令三カ条
国人の処遇
第三節 宇都宮鎮房の挙兵
肥後の国一揆
豊前の国一揆
城井城攻略ならず
城井鎮房を暗殺
第四節 朝鮮出兵
文禄の役と黒田長政の活躍
大友氏改易される
慶長の役
第五節 黒田氏の検地
指出帳を安堵する
異常に少ない石高
第六節 関ケ原の戦と郷土
黒田孝高・長政、家康方へ
黒田孝高と石垣原の戦
第三章 江戸時代
第一節 近世社会の形成
一 細川藩の成立と展開
細川氏の豊前豊後への入国
細川検地
知行割りと城割り
小倉領と中津御領分の成立
家臣団と支配機構
手永制度
朱印船貿易
二 禁教令と宗門改め
キリシタンの伝来と布教
信長のキリシタン保護
秀吉のキリシタン禁令
キリシタンの黙認から弾圧へ
細川氏のキリシタン取り締まり
細川氏のキリシタン弾圧
三 細川忠興の入国と差別の芽
細川忠興の入国
小倉城を築城して居城とする
人畜改帳をつくる
検地帳と人畜改帳
多数の名子・荒仕子の存在
人畜改帳の人びと
かわた
四 小笠原小倉藩の成立と展開
(一) 小笠原氏の入国と経営
譜代大名小笠原氏
幕藩体制の確立と小笠原一族
小笠原小倉藩の成立
島原の乱と小倉藩
(二) 二代小笠原忠雄と寛文・延宝期の政治
藩の機構整備と確立
家臣団の構成
地方支配組織の確立
土地制度
年貢の徴収制度
分家の創出(新田藩)
藩札の発行
地方知行制から蔵入地化へ
(三) 小倉城下町の発達
小倉城築城
小倉城下町の発展
五 キリシタン改めから宗門改めへ
(一) 朱印船貿易と鎖国
鎖国への途
島原のキリシタン一揆
(二) 宗門改めの創設
宗門改役の設置
小倉藩の宗門改め
宗旨奉行の廻郡
宗門改めの時期と役人の賄い
仲津郡の宗門改めの場所
宗門改めの免除
宗門月改め
宗門改めの簡略化
幕末のキリシタン検挙事件
(三) 絵踏(えぶみ)制度
踏み絵の始まり
小倉藩の踏み絵
踏み絵の順番
抜け踏みの制
小倉藩の踏み絵の廃止
(四) 寺請制度
寺請制度の創設
宗門改寺請状
宗門改人別帳
宗門改人別帳の戸籍簿化
宗門人別帳から壬申戸籍へ
第二節 藩政の推移と改革
一 唐船打ち払いと農村の荒廃現象の出現
(一) 密貿易船の出現
唐船打ち払い
(二) 農村荒廃現象の出現
享保の飢饉
年貢の推移と総定免制
農村の荒廃と人口動態
二 寛政期の政治
(一) 寛政の改革
犬甘兵庫の事跡
(二) 本百姓保護政策
御建替仕法
寛政十三年の条目
囲米
領民の表彰
寛政十年の達書
三 揺らぐ藩政と差別制度
窮乏化への道
窮乏を深める事件の続発
年貢の増徴へ
差別制度の実現
差別法令の意味するもの
別帳の宗門改帳と享保の大飢饉
農村人口の減少と農民の負担増大
差別制度の確立
四 差別制度の具体化と拡延
人別改帳を別帳仕立て
年貢収奪の強化策
風俗取締り
犬甘の家老就任と差別政策の具体化
差別は拡延する
五 小倉藩寛政の改革
うち続く天災と財政立て直し策
倹約令と差別法令
青染めの着物
六 化政期の藩政と農村社会
(一) 文化の変
藩主忠固の就官運動
反主流派の脱国
文化の変の終息
(二) 宇島築港事業
杉生十右衛門貞則
宇島築港
(三) 農村の疲弊の深化と対策
農村の疲弊の進化
荒廃からの復興策
七 天保期の政策
(一) 農村政策
郷村改め
年貢その他の改善
山鑑改正
(二) 国産政策の展開
文政の国産仕組
天保四年の国産方仕法
郡中米穀ならびに諸産物生蠟方会所仕法
(三) 藩札の発行
平野屋札の発行
天保の新藩札
御用借・御用金の要請
在郷商人の台頭
第三節 農村社会の成立
一 村の暮らしと支配
虫送り
高札
五人組
二 米の年貢
検地について
小笠原氏の石高
免について
付加税について
京枡物成について
引高について
四ツ高について
新田畠について
六分上米
三 その他の年貢
五分種子利米
二朱五厘米
差上米
米小物成
糠(ぬか)・藁(わら)代米
反別麦
鶏卵代
銀小物成
四 地方(ぢかた)支配とその役人たち
黒田氏の地方支配
細川氏の地方支配
手永の成立と惣庄屋
仲津郡の手永
細川期の庄屋
小笠原氏の地方支配
郡代
筋奉行
代官
山奉行
大庄屋
子供役
手代
庄屋
方頭
組頭
村の支配組織
統制を支えた連帯責任制度
豊津町域の大庄屋の手永支配
法令の伝達
国作手永の大庄屋
節丸手永の大庄屋
平嶋手永の大庄屋
豊津町域の庄屋
大庄屋・子供役・庄屋の選挙制
郡政の改革
子供役の廃止
方頭の廃止
大庄屋・庄屋の名称が里正・村長に
大庄屋見習・夫遣の廃止
豊津県の区制
庄屋が戸籍編成掛となる
大庄屋の本・支庁詰め
手永・大庄屋・庄屋の廃止
第四節 殖産興業と流通
一 幕府の作付制限令と豊前地方の特産品
田畑の作付制限令と商品作物の奨励
二 細川藩時代の生産と流通
(一) 藺草の栽培と畳表
職制と殖産
藺草の栽培と畳表
(二) 米穀流通
大坂回米と蔵元
江戸回米と買米
三 小倉小笠原藩時代の生産と流通
(一) 年貢米の納入と米穀の流通
大橋蔵と沓尾蔵
年貢米の藩庫納入
浜出し費用と大坂回米
豊津の酒株仲間と造石高
運上と冥加
(二) 菜種子の生産と流通
(1) 菜種子の生産と集荷
特産地豊津
(2) 菜種子の流通機構
地売りと大坂積み登せ
産物会所と菜種売捌方
座と株仲間
(三) 綿実の生産と流通
綿実座と兵庫積み登せ
(四) 櫨実の生産と生蠟の流通
国産奨励と専売制
(五) 諸産物の生産と商人札
職人・商人と免許札
(六) 林業(林業生産と山林政策)
山の種類
山林管理と山方運上銀
山方定
宇島築港と用材の調達
南行原の殖産開発
南行原の開発と植林
南行原へ唐芋植え付け
錦原の開発と移住
第五節 近世の交通
一 陸上の道
(一) 絵図に描かれた道
正保の国絵図
元禄の国絵図
豊前小倉領全図
(二) 豊津町域の道
秋月道
往来と往還
人馬賃銭
椎田道と香春道
小倉道と石坂越彦山道
大宰官道と国分駅
錦原開発と四新道
幕府巡見使と大村御本陣
大村下御本陣と錦原本陣
藩主廻郡と大村人馬会所
半宿と本宿
山鹿宿駅
山鹿宿駅の再建と終焉(えん)
豊津宿駅
二 水上の道(豊津町域の河川の道)
犀川と仲津舟
第六節 飢饉と災害
一 享保十七年の飢饉
天候不順とウンカによる大凶作
巡見使答書に見る享保十七年の飢饉
凶作から飢饉へ
小倉藩の餓死者は四万人弱
豊津町域の餓死者数
飢饉の救済
二 天明の飢饉
天明の飢饉の始まり
小倉藩の損毛高
天明年間の米価の変動
商家へ無心の百姓たち
三 天保の飢饉
連年の凶作から飢饉へ
天保七年の凶作
天保七年の飢饉の救済
天保九年の不作
天保九年の不作による救済
天保の飢饉による人口動態
四 文政十一年の風水害
七月二日の水害
八月十日の大風
八月二十四日の風水害
五 天保元年の風水害
七月八日・同十七日の風水害
六 嘉永三年の風水害と同六年の旱魃
六月一日の洪水
七月十一日・八月七日の風水害
風水害の復興
穀類の他所持ち出しの禁止
嘉永六年の旱魃
第七節 農村社会の変貌
一 農村の人手不足
農民の心情
年貢制度の矛盾
農村の人手不足
農民の出奔
流産・捨子の禁止
藩の財政難と農村
根付料無尽
下ゲ米
藩の農村政策
二 藩の財政政策と大坂商人
平野屋の調達講
調達講仕法
調達講の目的
三 奉公人
奉公人の規制
給金のトラブル
離農の好機
食えない農民たち
四 農村立て直しへの模索
新百姓の仕据
はんの木
第八節 幕末・維新期の政治動向
一 安政の改革(帳面取調べ)
島村・河野ラインの成立
安政期農村の現状
農政に関する諮問
帳面の調査
二 財政政策
領国貨幣の統一
献金・御用借
藩債の整理
三 国産政策
嘉永の国産政策
安政の国産仕法
制産方
四 安政の改革後の藩政
安政改革後の産物会所
五 日田商人との結びつき
日田掛屋千原幸右衛門家
日田金の融資
幕府の公金貸付
第九節 文化と宗教
一 藩学
[藩学]
武芸・文学第一
(一) 思永斎
[思永斎]
(二) 思永館(小倉)
[思永館(小倉)]
(三) 香春思永館
[香春思永館]
二 私塾教育
[私塾教育]
塾教育の特色
(一) 水哉園
[水哉園]
(二) 蔵春園
[蔵春園]
三 庶民の教育(寺子屋)
学ばせない政策から庶民教育奨励へ
豊津における庶民教育
四 小笠原流
(一) 小笠原流について
当たり前を自然に振る舞う
「見憎く候」「見よく候」
(二) 小笠原流の歴史
小笠原流の起源
小笠原流の継承
(三) 小笠原家の家紋
当初の家紋松皮菱
松皮菱から三階菱へ
三階菱十字文
(四) 伝承されている小笠原流
源氏の家伝・道統から小笠原へ
小笠原弓馬礼法の基本
現在礼法の規範「三儀一統」
(五) 糾方的伝
糾方の意味とその解釈
(六) 小笠原礼書七冊
小笠原礼法の整序
(七) 小笠原家の人々
(1) 小倉藩以前の人々
[小倉藩以前の人々]
初代 小笠原長清
二代 小笠原長経
三代 小笠原長忠
四代 小笠原長政
五代 小笠原長氏
六代 小笠原宗長
七代 小笠原貞宗
八代 小笠原政長
九代 小笠原長基
十代 小笠原長秀
十一代 小笠原政康
十二代 小笠原持長
十三代 小笠原清宗
十四代 小笠原長朝
十五代 小笠原貞朝
十六代 小笠原長棟
十七代 小笠原長時
十八代 小笠原貞慶(さだよし)
十九代 小笠原秀政
(2) 小倉藩以後の人々
小笠原小倉藩初代 小笠原忠真(ただざね)
小倉藩 二代 小笠原 忠雄
小倉藩 三代 小笠原 忠基
小倉藩 四代 小笠原 忠総
小倉藩 五代 小笠原 忠苗
小倉藩 六代 小笠原 忠固
小倉藩 七代 小笠原 忠徴
小倉藩 八代 小笠原 忠嘉
小倉藩 九代 小笠原 忠幹
小倉藩 十代 小笠原 忠忱
五 人畜改帳にみる社寺
[人畜改帳にみる社寺]
郡代・仲津郡筋奉行・豊津町城の大庄屋・庄屋
[郡代・仲津郡筋奉行・豊津町城の大庄屋・庄屋]
年表(上巻)
豊津町史年表
参考文献〈上巻〉
[参考文献〈上巻〉]
[奥付]