長野県立歴史館 信濃史料
「信濃史料」 巻二十二 (400頁~)
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後水尾
元和二年
1616
小笠原忠政、忠真、筑摩郡今井村の本年年貢を定む、
402
後水尾
元和二年一一月一五日
1616
松平忠昌、埴科郡本誓寺に禁制を掲ぐ、
403
後水尾
元和二年一一月一五日
1616
松平忠昌、水内郡小市村に五十石分の諸役を免ず、
404
後水尾
元和二年一一月一七日
1616
諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋いで、重ねての御渡あり、
404
後水尾
元和二年一一月一七日
1616
千村良重、遠江日明に於ける榑・板子の勘定目録を幕府勘定所に指出す、 千村文書の板子・間切之目録
404
後水尾
元和二年一一月二三日
1616
小笠原忠政、忠真、安曇郡某をして、鳥屋役を勤めしめ、諸役を免ず、 安曇郡某等の鷹巣見等に関する起請文
407
後水尾
元和二年一一月二五日
1616
真田信之、岩崎主馬に皆是善十郎等を預く、
409
後水尾
元和二年
1616
幕府、木曽福島宿等中山道の諸宿に、伝馬条目を出す、
410
後水尾
元和二年
1616
伊那郡早稲田の大明神社、再建せらる、
416
後水尾
元和二年一二月一日
1616
小笠原忠政、忠真、本多忠政の女を娶る、
417
後水尾
元和二年一二月六日
1616
徳川秀忠、水内郡長沼城主佐久間勝之に領知状を下す、
418
後水尾
元和二年一二月一三日
1616
松平忠昌の家臣野村重勝、諸人の埴科郡皆神山の竹木を伐採するを禁ず、
419
後水尾
元和二年一二月一四日
1616
真田信之、出浦対馬守をして、その知行地の内を、同半平に渡さしむ、
420
後水尾
元和二年一二月一四日
1616
小笠原忠政、忠真、安曇郡仁科神明宝殿を造営し、是日、遷宮を行ふ、
420
後水尾
元和二年一二月二一日
1616
徳川秀忠、佐久間安政・堀直寄等を咄衆に列せしむ、
423
後水尾
元和二年一二月二一日
1616
幕府旗下の士別所孫次郎、僚友桑山一直・伊藤治明と相争ひ、二人を殺傷す、幕府、孫次郎に切腹を命じ、佐久間勝之等をして之を検視せしむ、
424
後水尾
元和二年
1616
小笠原忠政、忠真、江戸に至る、
425
後水尾
元和二年
1616
美濃代官岡田義同、美濃一国の村高領知帳を録上す、木曽衆及び水内郡飯山城主堀直寄の領地この中にあり、
425
後水尾
元和二年
1616
佐久間勝之の子勝年、従五位下に叙せられ、信濃守に任ぜらる、
428
後水尾
元和二年
1616
伊那郡大河原村の本年分榑木勘定状、成る、
429
後水尾
元和二年
1616
幕府、木曽妻篭城を廃す、
430
後水尾
元和三年正月六日
1617
幕府、佐久郡追分宿に伝馬条目を渡付し、之を厳守せしむ、是日、同宿問屋市左衛門尉等、請状を進む、
431
後水尾
元和三年正月九日
1617
真田信之、出浦対馬守等に命じ、小県郡祢津等の地を開発せしむ、
432
後水尾
元和三年正月九日
1617
是より先、飯島市之丞、大坂陣に討死す、是日、真田信之、その子正九郎をして、市之丞の跡職を安堵せしむ、 信之、市之丞に知行を与ふ、
433
後水尾
元和三年正月二一日
1617
保科正光、領内諸村をして人夫を出さしむ、
434
後水尾
元和三年正月二六日
1617
仙石忠政の家臣仙石久清、佐久郡石高帳を注す、
435
後水尾
元和三年二月一五日
1617
信濃の人重田守秀、卒す、
440
後水尾
元和三年二月一五日
1617
仏涅槃日、山城建仁寺住持慈稽、古澗、上堂説法す、
441
後水尾
元和三年二月一六日
1617
山田弥五左衛門、山村三得に、吉田善兵衛の郎党の木曽関通過のことを依頼す、
442
後水尾
元和三年二月二一日
1617
伊那郡虎岩村の甚左衛門、同郡片桐町に於いて勝助等に桧皮を渡す、
443
後水尾
元和三年二月二二日
1617
山城本圀寺日禛、伊那郡光蓮寺日瑞を実相院住持となす、 日禛の伊那郡長光寺宛の書状
444
後水尾
元和三年
1617
佐久郡伴野源十郎、服部鹿之助より、服部流鉄炮の口伝を授けらる、
446
後水尾
元和三年三月七日
1617
幕府、上野高崎城主松平戸田、康長を松本城に移す、
447
後水尾
元和三年三月七日
1617
小笠原秀政の家臣香坂七郎右衛門等、木下源四郎に伊那郡堀之内去年分年貢算用状を渡す、
448
後水尾
元和三年三月八日
1617
伊那郡虎岩村百姓等、同村新十郎より桧皮の代米を請取る、 原重能の新十郎宛書状
449
後水尾
元和三年三月一三日
1617
木曽泉蔵院、祭文を記す、
451
後水尾
元和三年三月一五日
1617
松平康長の家臣板橋兵左衛門、安曇郡大町に於ける麻売買につき定書を出す、
452
後水尾
元和三年三月一七日
1617
伊那郡の百姓等、向山主水より種借米を借用す、
452
後水尾
元和三年三月一八日
1617
桐原与曽衛門、筑摩郡海岸寺観音堂を造立し、田地を寄進す、
453
後水尾
元和三年三月二〇日
1617
伊那郡矢沢三十郎、同郡浪合口留番所に、遠江の僧等の同所通過を依頼す、
453
後水尾
元和三年三月二二日
1617
真田信之、小県郡別所代官をして、同所百姓等の諸役を減じ、闕落百姓を召還し、田地を開作せしむ、
454
後水尾
元和三年三月二三日
1617
落合助右衛門、伊那郡下殿岡村の元和元年の年貢・種借米の算用状を、同村与助に渡す、
455
後水尾
元和三年四月二日
1617
仙石久清、佐久郡高野町慶正寺の新寺建立にあたり、門前町の創立を許し、諸役を免ず、
456
後水尾
元和三年四月二〇日
1617
諏訪頼満、頼水、諏訪郡富辺村外諸村高島分田地の夫役を免ず、
457
後水尾
元和三年五月三日
1617
平林小右衛門等、熊谷孫兵衛の、小笠原秀政・忠脩の位牌の供を願ふを許す、
458
後水尾
元和三年五月三日
1617
是より先、小笠原忠政忠真、等、徳川秀忠上洛の供奉を命ぜらる、是日、忠政、松本を発す、
458
後水尾
元和三年五月九日
1617
伊那郡五平次等、同郡大草の二兵衛より土地を買ふ、
460
後水尾
元和三年五月二一日
1617
是より先、仙石忠政、中村善左衛門を、罪過により佐久郡小諸城内に囚す、是日、善左衛門、脱走す、
460
後水尾
元和三年五月二六日
1617
徳川秀忠、近藤政成高政、に、高井郡内の地等の領知状を授く、
461
後水尾
元和三年六月七日
1617
真田信之、細田八左衛門等より、廻米の代金等を請取る、
463
後水尾
元和三年六月一二日
1617
徳川秀忠、上洛のため、江戸を発す、真田信之・諏訪忠頼忠澄、忠恒、等、之に随ふ、
463
後水尾
元和三年六月一二日
1617
真田信之、上野吾妻乗馬衆の役銭を免除す、
469
後水尾
元和三年六月一三日
1617
橋与兵衛、伊那郡虎岩村の新十郎をして、久六へ米を渡しむ、 虎岩村孫右衛門等、同村の蔵米を出す、
470
後水尾
元和三年六月一九日
1617
伊那郡大草郷の百姓等、本田に干損なきよう心懸くべき旨を誓ふ、
472
後水尾
元和三年七月五日
1617
山城建仁寺開山栄西明庵、の忌日、同寺住持慈稽、古潤、拈香仏事を修す、
473
後水尾
元和三年七月九日
1617
仙石忠政の子政俊、佐久郡小諸城に生る、
474
後水尾
元和三年七月九日
1617
伊那郡虎岩村百姓、前年の年貢過上分を、御蔵より請取る、
475
後水尾
元和三年七月一二日
1617
安曇郡舟場村等、前年の年貢を皆済す、
475
後水尾
元和三年七月二〇日
1617
諏訪頼満頼水、の子忠頼、忠澄、忠恒、京都に於いて従五位下に叙せられ、出雲守に任ぜらる、
476
後水尾
元和三年七月二三日
1617
大野弥五郎等、伊那郡虎岩村に法度を下す、
478
後水尾
元和三年七月二四日
1617
伊那郡の勘七郎、山城伏見への参りし際の夫米を、虎岩村新十郎より請取る、
479
後水尾
元和三年七月二七日
1617
伊那郡虎岩村新十郎等、飯田奉行所に慶長十九年・元和元年の同村の取高を指出す、 虎岩村、元和三年七月分のつなぎ米の割を記す、
481
後水尾
元和三年七月二八日
1617
幕府、小笠原忠政忠真、を筑摩郡松本より播磨明石に移封す、 小笠原忠政の書状 小笠原長次の書状
484
後水尾
元和三年七月二八日
1617
神道管領長上吉田兼英、佐久郡新海社祠官友野朝繁等をして、所職を安堵せしめ、且つ、富士浅間・三島社参詣檀那の先達たらしむ、
496
後水尾
元和三年
1617
幕府、脇坂安元を、伊予大洲より信濃飯田に移封す、 脇坂安元の諸士分限帳
497