長野県立歴史館 信濃史料
「信濃史料」 巻二十二 (300頁~)
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後水尾
元和二年三月一九日
1616
伊那郡上飯田村百姓等、代官与兵衛及び源四郎の非法を、奉行所に訴ふ、
300
後水尾
元和二年
1616
木曽長泉寺住持大察、観州、同寺過去帳を改書す、
302
後水尾
元和二年四月一日
1616
徳川家康、堀直寄等を召して遺命す、
302
後水尾
元和二年四月一七日
1616
徳川家康、薨ず、尋いで、真田信之、之を出浦対馬守に報ず、 家康の真田信之・仙石忠政等宛書状
304
後水尾
元和二年四月二五日
1616
是より先、松平忠輝、徳川家康の病を訪はんとし駿府に至るも許されず、、是日、武蔵深谷に赴く、尋いで、同国藤岡に移る、
309
後水尾
元和二年五月二日
1616
小笠原忠政、忠真、原吉久・浅香盛澄等に知行を給す、
311
後水尾
元和二年五月一五日
1616
伊那郡浄林寺然誉、阿弥陀如来像并びに阿弥陀経を同寺に寄進す、
312
後水尾
元和二年五月二〇日
1616
見崎喜兵衛、更級郡八幡の神宮寺をして、松平忠輝のために祈念せしむ、 稲荷山村肝煎三左衛門、検見の結果石高過分となるを訴ふ、
313
後水尾
元和二年
1616
伊那郡下平長久、火生三昧之大事を書す、
314
後水尾
元和二年六月三日
1616
茂呂源左衛門等、筑摩郡筑摩社に祭礼料を寄進す、
314
後水尾
元和二年六月六日
1616
真田信之、小県郡海野町伝馬人等に条目を渡す、
315
後水尾
元和二年六月九日
1616
小笠原忠政、忠真、筑摩郡八幡社を造立す、
316
後水尾
元和二年六月一〇日
1616
松平忠輝の老臣花井義雄、同安西正重を長坂信時殺害の主謀者の張本人として讒す、正重、之に弁疏し、義雄を張本人と訴ふ、是日、幕府、両者を対決せしめ、理非を裁す、尋いで、幕府、義雄の非を認め、之を改易に処す、 伊達政宗の義雄宛書状
318
後水尾
元和二年六月一一日
1616
真田信之、小県郡塩川村に令し、浪人の止宿を禁ず、
328
後水尾
元和二年六月一一日
1616
真田信之、成沢勘左衛門等に知行を給す、
329
後水尾
元和二年六月一二日
1616
真田信之、出浦半平に父対馬守隠居後の知行を給す、
330
後水尾
元和二年六月一三日
1616
堀直重、卒す、
330
後水尾
元和二年六月一六日
1616
真田信之、青木権八をして、父半左衛門の跡職を嗣がしむ、
332
後水尾
元和二年六月二八日
1616
佐久郡玄江院鶴叟、吉山、豫道場江入道具之様子事を書す、
332
後水尾
元和二年七月三日
1616
真田信之、金井善兵衛をして小県郡原町伝馬等のことを沙汰せしむ、 信之、禁制を掲ぐ、
333
後水尾
元和二年七月五日
1616
是より先、建仁寺興弾護国院方丈落成す、是日、同寺開山栄西明庵、の忌日に当り、同寺大統院塔主慈稽、古澗、同寺住持東鋭、利峯、に代りて、その慶讃仏事を修す、
334
後水尾
元和二年七月六日
1616
幕府、松平忠輝を伊勢朝熊に配し、その所領を没収す、尋いで、真田信之等をして、忠輝支配の諸城を請取らしむ、 忠輝の関係書状
335
後水尾
元和二年七月九日
1616
真田信之、海野内匠をして、石井二郎兵衛等を成敗せしむ、
349
後水尾
元和二年七月一二日
1616
仙石忠政、佐久郡布施村熊野社に神楽代・湯立料を寄進す、
350
後水尾
元和二年七月一三日
1616
小笠原若狭守等、松城城内の花井義雄仕置道具を小笠原忠政忠真、に渡付す、
350
後水尾
元和二年七月一七日
1616
小笠原忠政、忠真、筑摩郡峯高寺に於いて、故徳川家康のために法事を行ふ、
358
後水尾
元和二年七月二四日
1616
伊那郡大草の某筑後、同村西高某の、筑後抅分田地を違乱するを、代官所に訴ふ、
358
後水尾
元和二年七月二五日
1616
松平忠昌、川中島に封ぜられ、埴科郡松城城主となる、
359
後水尾
元和二年七月二五日
1616
真田信之、越後高田城番池田長門守等に、在城条目を付す
361
後水尾
元和二年
1616
佐久郡新左衛門、四郎右衛門と本家分につき争論し、是日、和解す、
362
後水尾
元和二年八月四日
1616
見崎喜兵衛、更級郡稲荷山等の種借籾の子細を幕府に上申す、 山田藤左衛門、見崎喜兵衛より籾を請取る、
363
後水尾
元和二年八月一〇日
1616
真田信之、小県郡本郷村の年貢高を定む、
365
後水尾
元和二年八月一四日
1616
幕府、岩城貞隆に、川中島に於いて知行を給す、
366
後水尾
元和二年八月一五日
1616
堀直寄、飯山八幡宮をして、屋敷及び神田分を安堵せしむ、
368
後水尾
元和二年八月一九日
1616
伊那郡虎岩村新十郎組、元和元年分年貢・種借米等を皆済す、
368
後水尾
元和二年
1616
堀直升、父直重の遺領を嗣ぎ、高井郡等を領す、
371
後水尾
元和二年九月一一日
1616
真田信之、小県郡奈良原又兵衛に命じ、領内の闕落百姓を召還し、新田を開かしむ、
372
後水尾
元和二年九月一一日
1616
信濃の人五味乙骨、太郎左衛門、卒す、
373
後水尾
元和二年九月一二日
1616
真田信之、松沢五左衛門・桜井市左衛門尉を小県郡別所等の代官とし、また、海野喜兵衛をして、同郡武石の本年収納のことに当らしむ、
374
後水尾
元和二年九月一二日
1616
真田信之、小宮山六郎右衛門等をして、小県郡房山等の年貢を収納せしむ、
376
後水尾
元和二年九月一二日
1616
真田信之、原浄貞に小県郡武石村に於いて屋敷地を給し、同新九郎に知行を給す、
376
後水尾
元和二年九月一二日
1616
真田信之、小県郡正念寺に屋敷等を寄進す、
377
後水尾
元和二年九月一四日
1616
飯川八郎左衛門、水内郡長沼村寺社領の引高を定む、
378
後水尾
元和二年九月一四日
1616
真田信之、桜井市左衛門等に知行を給す、
379
後水尾
元和二年九月一四日
1616
真田信之、下村作左衛門等をして、上野沼田に移らしめ、上田一騎合をして、上田屋敷の番を勤めしむ、
380
後水尾
元和二年九月一五日
1616
幕府代官井上新左衛門等、高井郡井上浄運寺に手作分の諸役を免ず、
382
後水尾
元和二年九月一五日
1616
松平忠昌、更級郡八幡宮神宮寺本鏡院をして、同社の注連竹を同郡普賢寺に於いて伐らしむ、
383
後水尾
元和二年九月二一日
1616
佐久郡正安寺住持梵達、不舶、寂す、尋いで、雄的、応的、的外、同寺住持となる、
383
後水尾
元和二年九月二一日
1616
木曽代官山村良安、慶長十七・八年の土井・榑木及び定納の勘定目録を、駿府勘定所に進む、
383
後水尾
元和二年九月二五日
1616
土井利勝等、千村良重に日光山東照社造営用材の出荷を督促す、
388
後水尾
元和二年九月二八日
1616
松平忠昌、領内諸村に、幕府御用の伝馬人足を遅滞なく出すべきを命ず、
389
後水尾
元和二年一〇月五日
1616
達磨忌、山城建仁寺住持慈稽、古澗、拈香仏事を修す、
391
後水尾
元和二年一〇月八日
1616
小県郡長窪問屋伝右衛門尉、新左衛門分の榑木売払帳を記す、
392
後水尾
元和二年一〇月二〇日
1616
仙石忠政の家臣山浦少蔵・片岡彦左衛門、佐久郡野沢の兵右衛門・本新町の彦右衛門に蔵番のことを命ず、
398
後水尾
元和二年
1616
幕府、堀直寄を水内郡飯山より越後長岡城に移し、また、佐久間安政を飯山城に封じ、水内・高井両郡の内三万石を領知せしむ、
399