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(三)祥雲寺

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 祥雲寺は臨濟宗大德寺派で一名松の寺と稱し、【所在】大町東二丁字寺町にある。周圍に土塀を繞らし、【境域】西方に表門を附した境内千二百九十三坪餘の巨刹である。
 表門を入れば門番所、南に物さびた庭園がある。庭園中央の鋪道を進めば東に庫裏、西に鐘樓がある。【鐘樓】鐘樓は二間六寸四方の重層で、天祐和尚筆惺世樓の扁額を揭げ、天和三年改鑄の巨鐘を懸けてゐる。【佛殿】佛殿は鐘樓の東南方にあつて寬永十九年に建てられ、西面の桁行四間三、梁行三間二七寸、正面に高く天倫和尚筆の法王堂の扁額を揭げ、本尊釋迦牟尼佛の木像を安置してゐる。前記鋪道は佛殿の畔より東に折れて其東端に唐門がある。唐門は方丈と開山堂とを繫ぐ渡廊下の中央西側に附せられ、黃元震筆一玄の扁額を揭げてゐる。【開山堂】唐門の扉を排して渡廊下に入り南に進めば開山堂の側面に出る。堂は一名昭堂と云ひ、西面の桁行五間、内部は正面中央に當寺開山澤庵和尚、右側に古鏡禪師の各木像を、左側に寂然塔を据ゑてゐる。南側東寄に開基檀那たる谷氏一族の木像を、北側東寄に德川歷代將軍の位牌を安置し、【寂然塔】扁額は正面中央に近衞基凞公筆の寂然塔を懸けてゐる。塔は武野宗朝の建つる所、南禪寺住職冣嶽元良選文の塔銘がある。【方丈】開山堂より引返し渡廊下を進めば方丈に出る。南面の桁行九間、梁行六間の規模で内部の間取は南北兩側に分れ、更に各側を東中西の三室とし、諸室中北側中央を須彌壇として釋迦牟尼佛を安置し、右に祖師堂、左に位牌堂を置いてゐる。【方丈の前庭】方丈の前庭は德川初期の造作になり、石巖、鵑花、荑蕉等が巨石奇巖の間に茂り、是等の名石は其形態に依りて東より富士石、鷄冠石、蚪蟲石、靈芝石、臥牛石と命名されてゐる。荑蕉は舊時妙國寺のものと共に有名であつたが、今は頗る衰へてゐる。【松の庭】後庭は方丈、居間、書院に圍まれて一名松の庭ともいひ、【五葉松】中央に五葉松があり、樹下に古井があるのみで、一面の苔庭である。松は臥龍松と稱し、豐臣秀吉の愛玩を受けたものゝ後身で、谷正印當寺建立の際こゝに移したといはれてゐる。其盛時には周圍八五寸、高さ一丈三、枝は東西一丈二、南北一丈五に伸び、其名の有名となるにつれ、何時しか寺をも松の寺と呼ぶに至つたが(堺大觀)其後明治の末に枯死した。又、此庭の東方を限つた土塀の彼方は墓地で、開基檀那谷氏の墓碑がある。

第百十四圖版 祥雲寺見取圖

 
 

第百十五圖版 祥雲寺方丈前庭

 
 

第百十六圖版 五葉松舊觀(堺大觀)