もみじ台期の海が退いてから出現した低湿地や丘のうえには、最終氷期の堆積物が堆積をはじめる。それらは野幌丘陵やその周辺台地に広く分布する小野幌層と月寒台地にみられる月寒粘土層などである。しかし、これらの地層の詳細については、まだまだ解明されておらず、多くの問題が残されているのである。ここでは、まず、小野幌層の性状を確認しておこう。
もみじ台団地付近では基底に安山岩の礫層あるいは泥炭層があり、もみじ台層の上に不整合に重なっている。おもに、青灰色ないし灰白色のシルト・粘土・砂互層からなる地層で、支笏軽石流堆積物(後述)におおわれている。基底部の泥炭層からは、グイマツ・アカエゾマツなどの毬果・葉片・小枝、ミツガシワの種子などが発見される。また、花粉化石ではトウヒ属・モミ属・カラマツ属・カバノキ属・ハンノキ属が優勢である。この泥炭層の14C年代値は、三万三〇〇〇年前ころとなっている。このほかの地点、広島町大曲と上輪厚の小野幌層の14C年代は、それぞれ三万五〇〇〇年前ころと三万四〇〇〇年前ころという値が出されている。このような植物化石や14C年代値などから、野幌丘陵西側の小野幌層は、支笏軽石流堆積物の堆積前の寒冷化していく時期の堆積物であると考えられる。
野幌丘陵の北西端から東側にも小野幌層は分布するが、その層位関係や岩相にややちがいがみられる。この地域には支笏軽石流堆積物が分布していないので、北西端の江別市街地では、上位は元野幌粘土層におおわれるが、東側では、上位の被覆層がなく、小野幌層が直接地表を構成している。また、東側では、もみじ台層も分布していないので、おおくの場合、下野幌層を不整合におおって堆積している。岩相は、粘土層を主体とし、泥炭層をはさんでいることなどは、西側のそれと同じようであるが、注意して観察すると、粘土層の中に火山灰の薄い層がはさまっているのである。この火山灰層は、石狩低地帯の南部に分布する厚真降下火山灰層とされているが、最近の研究によると、同火山灰層の第二層は、洞爺火山起源のものとされた。そして、その噴出時期は、一三万年前から七万年前くらいの間ではないかと考えられている。もしそうだとすると、東側の小野幌層は、西側のものよりも古いものであることになる。たしかに東側の小野幌層の泥炭層の花粉組成は、トウヒ属・カバノキ属・ハンノキ属が優勢で、ハシバミ属やブナ属などをともなう冷温帯落葉広葉樹がおもなものになっている。このような花粉組成は西側のものとは明らかに異なっている。
以上のような事実から考察すると、小野幌層は、下部と上部に分かれるが、一応、最終氷期の初頭(七万年前くらい)から、支笏軽石流堆積物(三万年前)の堆積以前、つまり、三万二〇〇〇~三万三〇〇〇年前くらいまでの時期に堆積した陸成層であるといえる。