イシカリ場所は、産物のうちもっとも比重をしめたのが、
鮭であったが、このほか魚類では、鱒、ヒラメ、チョウザメ、アブラコ、ホッケ、カスベなどが主要産物であった。弘化三年(一八四六)にイシカリを訪れた
松浦武四郎によれば、このほかにイトウがとれ、これは毒魚で大なるは八、九尺にもなり、このイシカリ川のみに多くいるとある。また、椎茸、
軽物三品(狐、獺(かわうそ)、鼬(いたち))もとれ、狐は七〇〇~八〇〇枚、獺は二〇〇枚ばかり、鼬は一〇〇〇枚で、ユウフツ領よりイシカリへ送られてくる
軽物と合わせるとおよそ二〇〇〇枚にのぼったという。このほかに矢羽、熊の皮などもとれたらしい(
再航蝦夷日誌)。
これら
軽物の値段は、
イシカリ場所の請負人阿部屋が文政五年(一八二二)、定式値段を定めている。表5がそれである。代銭として、米、煙草、酒で支払われたが、天保十二年(一八四一)よりは
軽物出産奨励として「褒美」が下された。たとえば、穴熊胆二〇匁以上の場合、代銭のほか「
蝦夷俵」(
アイヌ向けに作られた八升入りの米。寛政頃、輸送の関係で小俵にしたとされる)三俵ずつ、七匁以上は同一俵、リヤフは半俵、狐、貉(むじな)、貂(てん)等の小皮類については、一〇枚以上の場合同一俵、獺皮は一枚につき煙草二~半把、鷲尾一尻につき煙草二把ずつという具合であった(
村山家資料 道開)。
軽物名 | 米・煙草・酒 | 代銭 |
粕尾母衣上々 | 米3升 煙草2把 酒2升 | 590文 |
上 | 3升 1把・ 1升 | 500 |
中 | 2升 2把・0.5升 | 420 |
下 | 2.5升 1把・0.5升 | 360 |
白尾母衣 | 2.5升 1把 | 265 |
飼鳥 上 | | 野鳥中に同 |
中 | | 野鳥下に同 |
下 | | 白尾に同 |
穴熊胆皮共上 | 1匁に付煙草1把、米5合 | 125 |
中 | 〃 酒5合 | 100 |
下 | 〃 煙草1把 | 90 |
野熊胆皮共上 | 〃 酒5合 | 100 |
中 | 〃 米1升 | 70 |
下 | 〃 酒2.5合 | 50 |
飼熊胆皮共 | 米1升5合、煙草1把 | |
| 但胆1個に付米5合 | |
獺皮 極上 | 米1升、煙草3把 | 340 |
上 | 米5合、煙草2把 | 215 |
中 | 米1升、煙草1把 | 160 |
下 | 煙草1把 | 90 |
狐皮 上 | 煙草1把、米5合 | 125 |
中 | 煙草1把 | 90 |
下 | 米1升 | 70 |
貉皮 上 | 煙草1把 | 90 |
中 | 米1升 | 70 |
下 | 米5合 | 35 |
〓皮 | 米5合 | 35 |
『文政五午年御軽物類直段定帳』(村山家資料 新札幌市史 第六巻)より作成。 |
軽物以外に、材木もあった。
伐出場所は、
サッポロ山、ハッシャフ山、ヌフル山、シュップ山のほかイシカリ川上流の上川・
中川の山からも伐り出していた。主に椴材、雑木の類で、冬期に雪車(ソリ)で川の側まで運搬しておき、夏期に川に流してイシカリ元小家(
運上屋)まで運び、家作や船の材料に用いた(同書)。