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松浦武四郎と蝦夷地

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 松前藩復領期に蝦夷地を探検した人物に松浦武四郎がいる。弘化二年(一八四五)を皮切りに、翌三年と嘉永二年(一八四九)の三回にわたって東西蝦夷地のみならず、カラフト、千島をも探検し、『初航蝦夷日誌』、『再航蝦夷日誌』、『三航蝦夷日誌』にその探検のようすを書き記している。
 松浦武四郎は、伊勢国出身であるが、天保年間(一八三〇~四三)に諸国遊歴の旅に出、長崎で北方の急務を聞き、それ以来蝦夷地探検を志すようになったといわれている。
 松浦武四郎が、はじめてイシカリ場所を訪れたのは、弘化三年であったが、それより二年前、蝦夷地へ渡ろうとし、津軽鰺ケ沢まできたが、旅人の詮議が厳重なため、松前地への渡海を引き受けてもらえず、やむなくこの年は断念している。翌年、再度蝦夷地へ行くことに挑戦、鰺ケ沢でひとまず江差の商人斎藤佐八郎の持船に便宜を得ることができ、江差へ渡海することができた。ここでは、江差の人別に加わり、和賀屋孫兵衛の手代ということで東蝦夷地に入り、シレトコ岬を回って箱館にもどり、この年江戸に帰着した。
 弘化三年一月二日、松浦武四郎はカラフトに渡るために江戸を出発するが、このカラフト探検の帰途、イシカリ場所を通ってシコツ越えをし、イシカリ川筋のようすやそこに居住するアイヌの人びとのようすを『再航蝦夷日誌』に詳細に書きとめている。