なお、札幌市域ではシノロにも番所が、後におかれるようになった。シノロ番所は、鮭漁の臨時の番所か、または荒井金助、中島彦左衛門などの主導による開墾、大友亀太郎による御手作場の設置などにともないおかれたものとみられる。シノロ番所の設立時期は不明であるが、慶応三年(一八六七)八月二十九日付の足軽西村嘉右衛門より大友亀太郎への書状によると、「今般シノロ出役被仰付」とあり(大友亀太郎文書補遺 札幌の歴史 一三号)、あるいはこの時期が、シノロ番所の設立かもしれない。
明治三年(一八七〇)四月に作成された『兵部省分引継書類』には、シノロ・ハッサム番所各一棟が記載されており、この時期まで存続していたことが知られる。