生産と流通を結ぶ役割を期待された三国屋の力もきわめて弱かった。そこで、直接生産に従事する人と、廻船にかかわる人の関係を円滑にし、生産力を高め取引を拡大するために、イシカリ役所は二つの手だてを講じた。一つはイシカリ直捌用達の任命である。その主務は、直捌にともなう直営引場の鮭と役納鮭及び軽物類の移出販売で、イシカリ役所が必要とする物資の納品も担当した。安政五年八月、福山の万屋(宮川)増蔵がまず命じられ、つづいて住吉屋(西川)准兵衛、岩田屋(岩田)金蔵が加わって三人で勤めた。彼らはイシカリ役所の仕事のみにとどまらず、一般出稼人との関係を持たざるをえなかっただろう。
写真-11 御用達万屋の記録
もう一つは、イシカリ問屋(船宿扱)の開設である。まず、さきにふれた山形屋が命じられ、つづいて用達からの強い働きかけで塩越屋(工藤)庄兵衛と阿部屋(村山)利兵衛が加わる。利兵衛は前イシカリ場所請負人の一族で、すでに出店(本陣)をイシカリに持っていたが、あとの二者は翌安政六年出店を構えることになった。
これらの業務をイシカリ役所が管轄し、マクンベツ、ホリカムイほか二カ所で船改めを強化、一方、アイヌの生産物と所持品の交易は役所が完全に独占した。こうして改革後の流通機能は、イシカリ役所の強い統制のもとで発展していくのである。