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写真-2 石狩川を下る丸木舟(西蝦夷図巻より) |
安政三年に入り、松前藩より東西蝦夷地の各場所引継のために、箱館奉行の組頭が東西の蝦夷地に派遣された。その派遣を前にした二月に、ユウフツ場所請負人の山田屋に、イシカリまで通行が可能かどうかの照会がなされている。それに申答した山田屋文右衛門代理の寿兵衛の回答によると、冬季間の通行は次の状態であった(御用留策 第二巻)。
十月下旬より翌年三月下旬迄は、ウツナエ沼ビヽ川通幷ヲサツヽカマカ両沼相連候。イサリフト川筋続エヘツ川、夫よりイシカリ大川筋通迄一円氷張通船相成不申候。乍然極寒ニ至厚氷ニ相成筋ハ、正月下旬迄之間川々氷渡ニテ通路相成候得共、二月中旬より川々氷緩ミ何分通路難相成、猶三月より四月中迄雪消時ニ相成候期ハ雪汁満水に相成、千年川よりイシカリ運上家迄之間通船相成不申候。尤其年々季節遅速ニも寄、五月ニ至候得ハ全落水ニ相成、御通行御継立通船聊差支無御座候。
これによると、十月下旬から三月下旬までは川・沼が結氷のために通行不能となるが、その間、特に厚氷期のみは逆に「氷渡ニテ通路」ができるという。さらに、四月中旬の溶雪期は満水となり、通船も不可能となるという。
このような冬季間の交通途絶状態は、後で紹介する堀利熙・村垣範正の「書付」にも、「年々十月より三月迄は、積雪堅氷にて通路難相成、冬春六ケ月は通路絶候」と述べている。
冬季間の通行が困難であったことを示す一例に、安政四年(一八五七)二月におこなわれた、村垣範正の千歳越の件がある。範正はイシカリ廻浦を終え、二月二十八日にユウフツに向かう。しかし冬季のこともあり、それが可能かどうかをイシカリ詰の調役並水野一郎右衛門を通じ、二十四日に場所支配人に確認させている。支配人は人を遣して検分したのであろう。翌日に「差支無之旨」を申出ており、またユウフツにも連絡をとっている。この例のように河川を利用した場合、冬季の交通は自由ではなく、そのために通年通行の可能な道路の開削が必要とされたのである。