イシカリ場所において、人別帳が残っているのは安政三年(一八五六)以降である。しかし、それ以前にも何年分かの戸数・人数の統計が知られているので、戸口調査と同時に人別帳も作成されていたと思われる。
人別帳の作成目的は、人口調査、労働の雇用、撫育料の算定などにあったとみられ、第二次直轄以降はオタルナイ場所などでは連年作成されていた。イシカリにては安政三年、同六年、慶応元年、同三年の人別帳が残っているが、安政三年をのぞきいずれも断片である。
安政三年の人別帳は、松浦武四郎が記録した「野帳」三八冊中、「巳第三番」に収められている(新札幌市史 第六巻)。ここには、トクヒタ以下の十三カ場所の人別が一軒ごとに記されており、そして各場所の末尾に総軒数、男女数と合計が記されている。いま十三カ場所分をまとめると、表1のようになる。
表-1 安政3年 イシカリ場所アイヌ人別帳 |
場所 | 軒数 | 男 | 女 | 男女計 |
トクヒタ | 58軒 | 119人 | 108人 | 227人 |
ハツシヤフ | 5 | 11 | 10 | 21 |
下サツホロ | 5 | 14 | 12 | 26 |
上サツホロ | 20 | 29 | 50 | 79 |
上ツイシカリ | 6 | 10 | 11 | 21 |
下ツイシカリ | 2 | 7 | 6 | 13 |
上カハタ | 24 | 46 | 55 | 101 |
下カハタ | 10 | 15 | 16 | 31 |
上ユウハリ | 7 | 12 | 11 | 23 |
下ユウハリ | 14 | 28 | 21 | 49 |
シママツフ | 3 | 6 | 7 | 13 |
シノロ | 9 | 17 | 21 | 38 |
ナイホウ | 3 | 6 | 7 | 13 |
総計 | 166 | 320 | 335 | 655 |
これによると、安政三年当時、イシカリの十三カ場所では一六六軒、六五五人のアイヌが居住していたことがわかる。しかし、人別帳はその実態と非常に乖離(かいり)したものであり、武四郎に「不人別帳」であるとはげしく糾弾され酷評されている。