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石狩の米不足の状態と対策

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 この昇平丸の遅延・沈没は前述のような開拓使の米不足の状態に加え、後述するような北海道での全般的な物資不足の状態下でそれをさらに深刻化させ、島判官の事業の成否を左右することになる。島判官は、十二月に昇平丸の到着を期待して石井少主典銭函へ派遣している。だが物資不足への対策はそれ以前から始まっていたと考えられる。昇平丸は島判官たちとほとんど同時に品川を出発している。だから島判官は、いくら帆船とはいえ十二月までかかるとは思っていなかったであろう。特に生活物資の問題であるから、南部職人たちが到着し、札幌での本府建設を開始する十一月中旬以降は、その状態は深刻なものになっていたはずである。そのため島判官は手近な所からの調達を考えた。その第一に考えられたのが場所請負人たちである。彼らは近世以来、北海道で生活物資を非常用として準備していた。島判官はここからの調達を考えて、十一月末に場所請負人を廃止した。そして諸郡に蓄えていた備米を調達した。第二には、石狩府の管轄外であるが、開拓使管轄地としては札幌郡に近接している勇払役所を通じて勇払郡備米を調達した。第三に、石狩府の官吏を本州へ派遣して物資を調達させたことである。