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開拓使の移民募集

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 開拓使から明治二年十二月に、酒田県(現山形県)に向け、「今般当使本府石狩へ御取建ニ付札縨辺追々開墾ノ積、就テハ羽越国ノ内ヨリ農民男女三百人程移住為致度、此段申入候也」と、移民募集の依頼が送られた(市史 第七巻九頁)。羽越国とは現新潟・山形県を指す。移住の手当としては、①出立日よりの賄、②支度金一人三両、③家一軒、鍋二枚、蒲団一人二枚、④一日につき金一朱、玄米一人五合(三年間)、⑤農具、となっていた。
 開拓使では米穀調達とこの移民募集のために、羽越地方へ小貫直和権大主典と平田弥十郎少主典を派遣した。両名は二年十二月に札幌を出立し、翌三年一月五日に酒田に到着している(抜萃書類 道文一一七〇)。移民は酒田県及び大泉藩(もとの鶴岡藩)から農民一三〇人の応募があり、一月二十八日に受取を得ている。このうち大泉藩の移民については、以下のように報告されている(同前)。
移民ノ内過半ハ元浜益庄内領ノ頃、同藩ニテ移住為致数年彼地ニ在留致シ居、専ラ開墾勉励イタシ候モノニテ、地勢モ心得居候モノニテ先般御一新ノ末再当地へ帰任ノ義ヲ一同相歎候得共、不得止復帰イタシ候者有之由承込候

 これによると大泉藩領内には、かつて庄内(鶴岡)藩が蝦夷地の警衛をした際に、浜益に移住し開墾を経験した者がいたという。小貫、平田の両名はその折に開墾と取締のために設けられた頭取の制を引継ぎ、元右衛門ほか四人に組頭(手当金一カ月一両)、弥兵衛ほか四人に小頭(同三歩)を任じ、二一一人を五組に編成している。