その後町会所は現在の南二条西二丁目にあった町長屋の一棟に移されるが、『札幌区史』によると移庁は五年十一月であり、同年十二月三日に改暦となった六年一月一日をもって札幌市会所と改称したとある。一方、『札幌滞在事務取扱備忘誌』には六年一月四日の項に、「是迄ノ町会所大破ニ相及候間町長屋一番ノ一番ニ相移候事」、「爾志通胆振西エ入ル元町長屋ニ移し評議直り致度処井手より申立候事」という移庁記事が見られる。これらからこの頃に移転したものと思われる。
六年十二月市会所は後志通一〇番地(現大通西三)の商館官舎に移り、八年春その東隣(後志通九番地)の平屋官舎に移り、秋には官吏住居の都合により元の爾志通二番地(南二西二)に移されている(札幌区史)。
『さっぽろ昔話』の大村耕太郎談には、この場所を「現時〓乾物店の所」としているが、明治四十三年の『札幌区商工新地図』(札幌歴史地図 明治編)の同位置に雑貨商の〓山田直吉商店が確認できる。
七年二月大小区制がしかれた後も市会所と呼ばれた名称は、その後第一大区区務所と呼ばれるようになった。この名称は十二年七月大小区制の廃止にともない制度上は消滅するが、八月二十七日開拓使布達甲第三十九号により、郡区役所開設まで事務取扱を命ぜられた。そのため第一大区区務所の場合、実質上十三年三月まで存続した。