札幌官園には八年にも東京、七重両官園より洋種牛が移され、また南部産牛を購入するなどしたので牧場が狭くなり、さらに冬期飼料の不足が心配され、九年九月札幌市街の南一里(四キロ)の地へ新しく牧牛場を設け、官園の牛を移した。この牧牛場も手稲村牧場と同様、八年中の黒田長官やダン等の調査に基づくもので、当初は真古間内野などとも記されていた。「広袤(ぼう)ハ概ネ数百万坪未詳余」などともいわれたが、総面積二六九万八四四〇坪余、内三八万三八二七坪を木棚で囲み、四一万五六七〇坪を牧草地とした。毎年五月上旬から野飼とし、朝に山野に放牧し、夕方柵内に入れた。十一月中旬に舎飼にもどした。
九年十月、ダンが翌年の播種用として米国への注文を開拓使に依頼した牧草種子の目録には「ケンチキー、ブリウグラス」「オルチャルド、グラス」「チモシー、グラス」など後年よく耳にすることとなる品種一一種類があげられていた。十年十一月農黌園のモデルバーンと同様の米国風家畜房が建設され、馬豚を兼飼した。
本場でも七重官園に続いて十年以来、粉乳・バター・チーズ等を作って牛乳と共に売り、また第一回内国勧業博覧会に出品して褒賞も得ているが、その量は微々たるものであった。十四年末の牧牛数をみると、真駒内牧場和種五頭・洋種五五頭・雑種五四頭、農黌園和種二三頭・洋種四四頭であった。牛乳生産高は真駒内牧場二一・一石(販売量)という数字がある(開拓使事業報告 第二編)。これらの数字を東京、七重両官園と並べて見ると、両官園を経て洋種牧牛が札幌へ移送され、増殖していく姿を読み取ることができる(新北海道史 第三巻)。
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写真-6 真駒内牧牛場(北大図) |