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組頭から村三役へ

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 移民集団にともなう組頭小頭制は、村の成立とともに間もなく廃止となり、村役人にかわっていく。まず組が廃止となるのは、明治四年二月頃とみられる。『仕上ケ御勘定帳』(道文三二二)には、三年十月から十二月まで組ごとに米、金の支給額がまとめられていた。ところが四年一月は米のみ組名で記載するが、金の方は村名になり、二月からは両者とも村名の記載にかわる。このことは上述の組、組頭制を廃止したあらわれとみることができる。すなわち、農民の支配・管理が組から村に変更されたのである。
 ただこの時、最初に行われた村役の任命史料はない。小熊善右衛門組頭となった四年三月頃に、庚午移民の三村の村役が任命されたものと思われる。村三役の変遷は表2の通りである。この中で指摘できることは、豊三郎組の組頭であった日田豊三郎(円山村)、徳次組の今野徳次(丘珠村)、元右衛門組の坂野元右衛門(苗穂村)が、その後も村役をつとめ輿望(よぼう)を担っていたことである。

表-2 村三役の変遷


写真-3 小熊善右衛門の履歴書(部分) 組頭名主副戸長の任免が記され、
行政制度のめまぐるしい変遷のあとをうかがうことができる。(札幌村郷土記念館)