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白石・手稲村と貫属取締

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 北地跋渉組の中で白石に残留していた片倉家臣は、四年三月十七日に開拓使貫属に編入され、三月二十八日に角田県庁から移住準備を命ぜられ、あわせて佐藤孝郷に貫属取締が任ぜられた。文面は「為締佐藤廓尓跋渉被仰付候事」とあり、「跋渉組合結束調」では執事に佐藤孝郷、添役に三木勉、管野定武、橋元韜六郎となっている。
 開拓使貫属編入の願書で、「移住済迄之内ハ大県(角田県)ニテ進退御指揮被成下」と述べているように、「締」や執事の任命もそれに対応した角田県の任命であった。佐藤孝郷の役割は、貫属取締にあたるものであった。孝郷は札幌に到着後も貫属取締とされており、白石村の方を管轄することになる。
 添役にあたるものが、取締助とされて新たに開拓使から任命された。十一月十八日に榊原次郎七(直温)、管野定武(宜民)が白石村の取締助となる。取締助は取締の補助をする役職であったろうが、手稲村の取締助となった管野格(四年十一月~五年二月、新任戸長明細短冊 道文三八七九)は月給六円とあり、名誉職ではなく正規の村官吏であった。手稲村の取締は当初、長谷川弥六郎(正路、五年二月三日に差免)が任命されたようである。