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札幌神社の活動

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 ここでは通常の神社の活動以外の、この時期特有のものを中心に略述したい。
 まず前述の教導職とも関わる説教であるが、六年十月二十一日から、毎月六日と二十一日、市会所において開催された。また八年春には同社大貫宮司が大講義として西部を巡回説教するなど、教化に関しても地域の中心的機能を果たした。
 さらに五年五月、開拓使は教部省あて「北海道後志胆振両国以奥各郡産土神社無之地エ、札幌神社遙拝所ヲ仕立、神躰奉祭いたし候見込ニテ」(札幌神社諸留 道文四五五)神鏡二〇面を新鋳した。これについてはまず五年六月に白石村が神武天皇遙拝所設立願を提出したのに対し、開拓使はそれを許さず、札幌神社遙拝所建設を指令した(諸記録 北海道神宮)。七年に平岸村が出願し、さらに下手稲村(十一年)、札幌市中(同)などへも遙拝所が創建されていった。
 このほか、四年に氏子改めの制定が定められたが、五年九月十五日に氏子札渡しの通達が、開拓使開墾掛より各村あて出されており(市在諸達留 北大図)、また同掛の『細大日誌』には、「佐藤直祥村々へ氏子札御渡ニ付出張」(五年九月十五日付)ほか時おりこれに関する記事があり、写真のように現物も発見されている。さらに疱瘡よけの守札の配布なども行った。

写真-2 札幌神社氏子札(明治4年発行、札幌市長岡武夫氏蔵)