雑穀以外に農家でよく収穫できたものに五升芋(じゃがいも)があり、主食の補給源にされた。また白石村の場合、大根が予想外に収穫できたが販路がないため、開拓使で買上げてもらっている。この場合、大根は越冬用の糠漬にされたという。さらに札幌付近に自生していた山菜は、大切な補給源となった。わらび、たらの芽、ふき、せり、みつば等食用にできるものは何でも利用している。特に山鼻付近にはわらびが豊富にあり、六、七年の不景気の時にはわらびの根から澱粉をとり食したという(札幌昔日譚)。また、鹿や兎等もたくさん生息していたので、肉は食用にし、皮は履物や衣服等に用いている。定山渓の温泉守美泉定山は、鹿の毛皮を売買する仕事もしていた。また付近の河川には秋になると鮭が溯上してきたので、捕獲した鮭を四つに裂いて乾燥させおやつ代わりにしたという(平岸村開拓史)。
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写真-1 美泉定山より石川正蔵宛の鹿皮の不猟により借金が返済できないとの書簡 (南区定山渓 定山寺蔵) |