開拓使は業務遂行の必要上多数の印刷物を刊行した。すなわち事務用としては『開拓使布令録』(明治二~十年、六冊)、『開拓使公文鈔録』(同)など、調査報告類としては『開拓使顧問ホラシ、ケプロン報文』(明治八年)など御雇外国人によるものも多くあり、さらに外国の技術を紹介したものなど、多種多様にわたっているが、これらは東京での印刷であり、英文のものはアメリカで印刷されたものもあった。
前述のように明治十年に札幌活版所が設置され、官用のほか『札幌新聞』など民間の印刷もおこなった。また札幌農学校の有志が、北海道の農家に進歩した知識を授けるために、研究外国書の翻訳などを十一年以来月一回刊行していたものを、十三年一月から『農学叢談』と命名して月刊雑誌とした。また組織団体等の機関誌としては『札幌教育会彙報』(十六年創刊)、『北水協会雑誌』(十八年創刊)等が挙げられる。
しかし札幌における出版が盛んとなったのは二十年代以降、すなわち文化・学術・社会改良団体等の蔟生に照応してであって、そうしたもののまだ少ないこの時期にあっては、地場出版もまたごく限られたものでしかなかった。