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祭典区の設置

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 前編七章で述べたように、札幌神社例祭終了後の同社遙拝所、区中への神輿渡御は、札幌区民の負担により、十一年から行われたが、二十年代前半の渡御に関する世話役は有志が担当していたようである。
 二十六年に至り、白野同社宮司の発議により札幌区を四区に分け、各区に祭礼委員を設けることとし、まずこの実現に向けて委員が選ばれた。これをふまえて翌三月には、林区長はじめ区内有力者三〇人が発起人となって協議を行い、具体的な祭典区が作られた。『北海道毎日新聞』同年三月二十四日付には、札幌神社社務所、祭典区世話係幹事の名で、次のような広告が掲載されている。
六月十五日官幣小社札幌神社区祭ノ儀、今迄一定ノ世話係ナル者無之、年々差支ヲ生シ候処、今般区内ヲ四区ニ分ケ、区民一体ノ推撰ニ依リ、左ノ人々へ祭典世話係御依嘱候処御承知相成候ニ付、普ク区民諸氏へ報告仕候。

 また、この時の祭典区割は表1のとおりであった。
表-1 札幌神社区祭祭典区割
地 域
第1区創成川西 大通南側より南三条北側まで創成川以西一円
第2区創成川西南三条南側より西南一円
第3区創成川大通南側より東南一円
第4区創成川東西大通以北一円
北海道毎日新聞』明治26年3月24日付による。

 なお、この祭典区は年番制ではなく、各祭典区が寄付を集め、うち渡御費を宮司に渡し、他は山車、飾付その他の費用として祭典区が費消した。年番区制となるのは三十三年、すなわち同社が官幣大社となった翌年からである。また、この四区の区割の根拠は、たとえば消防関係の区とも異なっていて明らかにし得ないが、祭を担う商人層の集中している大通南側を若干細分し、その層の薄い創成川東側、大通より北をひとまとめにしたと理解するのが自然であろう。