屯田兵員等の出征がにわかにささやかれるようになった二十八年三月、札幌基督教徒青年会(委員札幌農学校寄宿舎内吉沢誠造)による「軍人家族賑恤広告」が新聞に掲載され、「困難なる軍人家族」には救済手段を施すので申し込まれたいと呼びかけた。この広告が掲載された二日後には真宗大谷派別院をはじめとする一〇の仏教系寺院が「軍人家族扶助金募集ニ付謹告」という広告を掲載し、軍人家族の救済のための浄財を募った。また顕正護国会本部でも同時期に会員に遺族者救済扶助義捐金を募る趣旨を新聞に発表した。
このような宗教団体による自発的な軍人家族保護活動を待っていたかのように、官側でも同月二十四日軍人家族保護会が北垣北海道庁長官を会長に、また菊亭脩季を副会長に設立され、札幌に本部を、全道各郡役所所在地に支部を置き、各郡区長を支部長とすることが決定された。義捐金は一〇円以上とし、五円以上一時に寄贈する者を正会員に、その他を賛助会員とした。四月二十五日現在、第一回義捐金として北垣長官以下九人、一団体で金三七五円が寄せられた。
同年五月段階の調査では、軍人家族のうち生活困難者は区内に九戸三〇人にものぼった。また琴似村では小松孫八以下一八家族に米噌料として七五円を支給した。また山鼻村では、他より保護を受けるを恥辱と考え独自に山鼻村軍人家族保護会を有志発起で結成し、積金と有志よりの寄付金をもって兵村内の困難者に分与救済することとした。やがて、六月末兵員の帰国就業により解散している。
結局軍人家族保護会は、十一月二十三日に一旦解散し、新たに軍人家族保護を目的とした北海道尚武会へ組織換えされた。十二月十五日付新聞による尚武会引継の収支決算報告では、義捐金収入として金七〇〇〇余円があり、保護費として支出されたのは八四〇円余で、残金六〇〇〇円余が北海道尚武会に引き継がれることになった。