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庁舎と位置

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 新発足した札幌区の要となる区役所庁舎は、財政的にも場所的にも区制施行と同時に独自の建物を得ることは難しく、「当分ノ間、札幌区大通西三丁目、札幌支庁内ニ定メ」(区政実施ニ関スル書類)ることになる。ここは明治二十五年の大火後に再建された北海道庁札幌支庁舎で、その一部に間借りすることとし、道庁告示二三〇号及び官報第四八七七号にその旨報知された。札幌支庁では三十二年十二月の御用納めに課の配置換えを行い、第二課の跡と会議室を区役所分に割り当てたが、これを札幌区役所の開庁と呼んでいる。
 こうした事情は函館・小樽両区も同じで、仮住まいからの独立を目論み、札幌区会では三十三年九月十八日「只今ノ区役所ハ支庁ノ一部ヲ借リ、不便且不体裁ト考ヘラレマスガ、是ハ何時迄此儘ニ」(明治三十三年区会決議録)しておくか議論となり、区が調査を進めていた北海道庁長官の旧官邸払下を促進するよう建議したが、実現しなかった。
 その頃、第七師団司令部は創成川東岸北三条東一丁目に広い用地を持ち、庁舎、倉庫など二十数棟の建物を有していたが、師団の旭川移転に着目した区は、これの区役所転用をはかるべく、三十四年無償払下を陸軍省、師団司令部、内務省、道庁に強力に働きかけ、ほぼ実現するかに思えた。しかし、一個人への付与が伝えられ、区は払下不許可の指令を受けるにおよび、区会はもとより新聞、世論は一斉に区長の失態を難じ、不明朗な官有財産処分の真相究明を求めた。その結果、個人付与は取り消され、区に三十五年十月二十一日陸軍省用地と建物の無償使用が許可されたが、払下ではなくあくまで貸付であった。この年、函館区は独立庁舎の実現に向け区役所新築工事をすすめており、札幌区がいつまでも不便不体裁な仮住まいを続けるわけにいかず、使用許可を受けた第七師団司令部跡への早急な移転が望まれた。同年十一月十一日区役所位置を「北三条東一丁目一番地」とする告示を出し引越しすることにより、三年余の支庁仮住まいに終止符をうち、借地借家ながら独自庁舎で執務することになった。この経緯は吉田隆「北海道区制における札幌区役所の検証」(札幌の歴史 第二二~二四号)に詳しい。
 三十九年、陸軍省は不要不動産を大蔵省に引継ぐ方針を明らかにしたので、この際区役所の借用地払下を国に働きかけることになり、区長が上京陳情の結果、国は区にこれを売却した。「元第七師団司令部庁舎敷地買得ノ件ハ、本区多年ノ宿望ナリシモ、機至ラズ其儘経過シ来リシガ、本年ニ至リ機熟シテ遂ニ此ヲ買得スルコトヲ得タリ。而シテ之カ買得価格ニ付キ多少困難ノ事情アリシモ、再三交渉ノ結果、遂ニ三千二百四十坪ハ一坪金一円四十銭ノ割合ヲ以テ買得シ、残三百六十坪ハ将来道路開鑿ノ見込ヲ以テ、官有財産管理規則ニ依リ無償譲与ヲ受ケタリ。而シテ右買得地ノ内目下差当リ必要ヲ認メザル土地ハ之ヲ個人ニ貸付ヲ許可スルコトヽセリ」(札幌区事務報告 自明治三十八年十月至三十九年九月)。こうして庁舎にあてていた二階建の建物のほか六棟の付属家(延べ五〇四・六八坪)と敷地三六〇〇坪は区有に帰したのである。
 それも束の間、この土地と建物を区は手離すことになる。三十九年鉄道国有法が公布されると、北海道の鉄道を運輸管理する機関として北海道帝国鉄道管理局が設置されることになり、その庁舎、工場、職員住宅を札幌に誘致するべく、区長や区会は積極的に用地確保にあたった。その結果、工場は札幌村(苗穂)に、住宅は北八条に、そして管理局舎として区役所の建物と敷地を提供することにしたのである。区会は四十年八月、区役所敷地三六〇〇坪と庁舎及び付属建物を八万一〇九七円余で売却することを決定し、その代金で鉄道管理局に寄付する民間所有地を買収、道路整備を行い、区役所庁舎を全面改修し(改修してから売却する条件)、残金二万五〇〇〇円は新区役所建築費に充てることにした。
 区役所は苦心の末入手した北三条東一丁目の土地を九月いっぱいで立ち退くことになり、北五条西三丁目番外地への位置変更を九月二日の区会で決め、北海道炭礦鉄道株式会社所有の旧俱楽部を借用し仮庁舎に充てた。新庁舎は、北一条西二丁目の区有地二六八五坪に建つ創成尋常小学校を改築移設し、その一角に二カ年継続事業として建築することにし、四十一年八月着工、翌四十二年八月十四日岡部司法大臣を迎えて落成移庁式を挙行した。この日と翌日を区民の見学にあてたが、二日間で三五〇〇人の参観者を数え、関心の高さがうかがえよう。木造建築とはいえ二階建延べ五二六坪の偉観は区のシンボルにふさわしく、工事報告で「徒らに装飾を施さず、専ら堅牢を旨とし、左右に翼を張りて採光換気宜しきを得るに力め、各室の配置には主として執務者と参庁者とに便利を供せんが為め工夫を要したり」(北タイ 明42・8・15)と述べている。一階を区の事務室、区長室などにあて、二階は区会議事室、議員室などにしたほか、平屋建の製図室、宿直室があり、工事費は当初四万四九三円余を予算化したが、報告には三万九六〇〇円余とある。いずれにしても北三条の旧庁舎を売却した金では不足だった。後に倉庫や金庫室等を増築し、札幌の代表的な建物の一つに数えられるようになった。

写真-2 札幌区役所(明42.8完成,北1西2)