このほか円山村(藻岩村字円山)では、明治末年から路上で円山朝市が行われていたという。市街地の拡大と蔬菜生産の増加により、大正七年には円山蔬菜組合(組合長上田万平)が結成され、組合を母胎に五月から一〇〇〇坪の敷地で蔬菜市場を営業することになった(北タイ 大7・4・23)。広告には次のように述べられている。
弘く大方の諸君に告く
毎度皆様御愛用の円山独特手作りの採りたての青々生き々々した最もオイシイ畑の者山の者に限らずアラユル青物類を最もオヤスクドシ/\売りますなんと経済ではありませんか何卒ドナタデモ毎早朝より賑々しく左記の所に御出で下さいませ
売 場 円山市街地十字街側(札幌青物共同購買所にあらず)
円山蔬菜組合 円山蔬菜類販売所
毎度皆様御愛用の円山独特手作りの採りたての青々生き々々した最もオイシイ畑の者山の者に限らずアラユル青物類を最もオヤスクドシ/\売りますなんと経済ではありませんか何卒ドナタデモ毎早朝より賑々しく左記の所に御出で下さいませ
売 場 円山市街地十字街側(札幌青物共同購買所にあらず)
円山蔬菜組合 円山蔬菜類販売所
(北タイ 大7・4・25)
写真-1 円山蔬菜市場
札幌青物共同購買所というのは、南一条西一八丁目に青物仲買商がつくったもので、当初円山蔬菜市場と一本化する構想もあったが、まとまらず分立したものである(小樽新聞 大7・1・23)。このように第一次世界大戦期に蔬菜・果実流通組織は急速に整備されたのであった。