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アイヌ実業補習学校の円山村設立計画

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 札幌区の西に隣接する円山村アイヌ実業補習学校を設立する計画が具体化したのは、同会創立の直後のことである。同会は明治三十三年五月、小谷部を北海道に派遣し、「北海道に於ける賛成者の糾合土人救育地所選定校舎敷地の借入并に北海道に支部を設置すること」(教育公報 第二四〇号)を調査させた。調査結果は明らかになっていないが、これによってアイヌ実業補習学校円山村に設立する方向で活動を開始したと考えてよい。これが広く札幌区民に伝えられたのは三十三年八月で、『小樽新聞』が「土人救育会と土人徒弟学校」と題して、「札幌付近に土人徒弟学校を設立し、土人子弟を収容して一面彼等に適当せる技芸を授けて生活の途を得せしむると共に、一面に簡易教育を授けて智能を啓発せしめん計画なる由」(明33・8・9)と報じてからである。円山村設立が正式に決定されたのは、二条、辻、島田、加藤、坪井、湯本、小谷部らが出席した同年九月十四日の役員会であったが(教育公報 第二四〇号)、この時点ではすでに既成事実化していた。また、この役員会で「救育会の為に土地貸下げを出願すること」(同前)も合わせて決定した。
 事実、八月十九日には、札幌区の共楽館で六〇〇人余の区民を集めて「土人救育演説会」が開催された。当日は藤井民治郎が「開会ノ主意」を述べ、中西六三郎が「土人ニ対スル法律ノ効果」、関場不二彦が「アイヌノ保護」、小谷部全一郎が「吾北海道土人」、加藤政之助が「日本国民ノ位置」と題しそれぞれ演説した(小樽新聞 明33・8・21)。藤井と中西はともに弁護士で、札幌区会議員も兼務していた。関場は北辰病院院長であった。この演説会は札幌区民に対して、アイヌ民族の現状と同会の活動趣旨の理解に加えて、運営資金を確保する目的で開催された。また、これに先立つ八月十七日には、永山武四郎対馬嘉三郎佐藤昌介らが発起人となり、札幌区の有志による「土人救育会員招待懇親会」が豊平館で開催され、小谷部と加藤が演説をした(道毎日 明33・8・21)。この懇親会には北海道庁長官園田安賢も出席した。

写真-17 「土人救育演説会」広告(道毎日 明33.8.18)

 こうした集会は札幌区だけではなく、八月二十日には小樽区でも開催され、区会議員など六〇余人が参加した。当日は二瓶有の「開会の主旨」で始まり、小谷部が「土人救育会趣意」、加藤が「日本国民の位置」と題し、それぞれ演説した(道毎日 明33・8・22)。